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日本の政治家浅野 史郎あさの しろう
生年月日 (1948-02-08) 1948年2月8日(76歳)
出生地岩手県大船渡市
出身校東京大学法学部
前職国家公務員(厚生省)
所属政党無所属
称号旭日重光章
公式サイト ⇒浅野史郎 「夢らいん」
公選第15-17代 宮城県知事
当選回数3回
在任期間1993年11月21日 - 2005年11月20日
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浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日 - )は、日本の政治評論家、コメンテーター。元神奈川大学特別招聘教授。元慶應義塾大学総合政策学部教授。元宮城県知事(公選第15・16・17代)、元厚生官僚。 岩手県大船渡市生まれ、宮城県仙台市育ち。神奈川県横浜市在住。仙台第二高等学校3学年に在学中には、「受験生への密着リポート」として、数ヵ月にわたって地元テレビ局の取材を受けた。 東京大学法学部卒業後にはキャリア官僚として厚生省(当時)に入省、同省において障害福祉課長を務めた。1993年、ゼネコン汚職事件に係わって当時の宮城県知事・本間俊太郎が辞職、その後の知事選挙に新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し初当選、戦後生まれ3人目の知事に就任した。その後、1997年、2001年にそれぞれ再選、3期に渡って知事を務めた。在職中には構造改革を標榜する「改革派知事」、表立っては特定政党の推薦を受けない「無党派知事」として知名度を高めた。 浅野は知事退任後の2005年に東北大学客員教授、2006年4月には慶應義塾大学教授に就任した。厚生省時代の経験から福祉および介護の分野に詳しく、福祉施設関係者の交流・勉強会である「アメニティフォーラム」には発起人として参加、同フォーラムの代表を務めた。
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