浅野勝人
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日本政治家浅野 勝人あさの かつひと
内閣官房副長官就任に際し公表された公式肖像写真
生年月日 (1938-04-19) 1938年4月19日(86歳)
出生地愛知県豊橋市
出身校早稲田大学第一政治経済学部
所属政党自由民主党
(宮沢派→麻生派
称号旭日重光章
参議院議員
選挙区愛知県選挙区
当選回数1回
在任期間2004年7月26日 - 2010年7月25日
衆議院議員
選挙区(旧愛知5区→)
愛知14区
当選回数3回
在任期間1990年2月18日 - 1993年6月18日
1996年10月20日 - 2003年10月10日
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浅野 勝人(あさの かつひと、1938年4月19日 - )は、日本政治家参議院議員(1期)、衆議院議員(3期)、内閣官房副長官(政務担当)などを歴任した。
来歴

愛知県豊橋市出身。愛知県立豊橋東高等学校早稲田大学第一政治経済学部卒業。1961年NHKに入局[要出典]。

NHKを退職後、1986年第38回衆議院議員総選挙旧愛知5区(定数3)から保守無所属として出馬したが、次々点で落選。1989年に政策集団自由連合の旗揚げへ参加[1]

1990年2月18日に行われた第39回衆議院議員総選挙で、自民党は現職の村田敬次郎、竹下派の元職の近藤豊、宮沢派の浅野[2]の3人に公認を出し、浅野は得票数2位で初当選した。ところが衆院選にからみ、2月21日、自身の秘書と運動員が買収容疑で逮捕された[3][注 1]

1993年の総選挙で落選。

1996年10月の総選挙に愛知14区から立候補し、2期目の当選を果たす。同年11月、第2次橋本内閣で防衛政務次官に就任。2000年6月の総選挙で3期目の当選。同年7月、第2次森内閣で外務政務次官に就任。党務では、自民党副幹事長、国会対策副委員長などを務めた[要出典]。

2003年第43回衆議院議員総選挙で落選。

2004年第20回参議院議員通常選挙に向け、全国初の自民党候補予備選が行われる。愛知県選挙区においては、浅野、大島慶久参議院議員、寺西学県議の長男の寺西睦の3名が公認をめぐって争い、浅野が自民党公認を得た[9]。同年7月、参院選に当選。

2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議採決では造反し棄権した[要出典]。2006年9月27日から第1次安倍内閣外務副大臣に就任。

2007年8月、党人事局長に就任。2009年5月13日、麻生内閣で内閣官房副長官の鴻池祥肇が辞任したことに伴って、同日付けで後任の内閣官房副長官に就任。同年9月に内閣官房副長官を退任。

2010年1月21日、72歳になっていた浅野は、有権者の「若返りを望む声が大きかった」として、次期参院選への出馬断念を表明。4月、参議院懲罰委員長に就任。7月の第22回参議院議員通常選挙には出馬せず、事実上の引退となった。

引退後は、北京大学特任講師、東北福祉大学特任教授、一般社団法人安保政策研究会理事長などを務めている[10]

2016年春の叙勲で旭日重光章を受章。
政策

選択的
夫婦別姓制度導入について、例外的に夫婦の別姓を実現させる会に賛同していた。一方で、2010年には「選択的夫婦別姓制度を盛り込んだ民法改正反対に関する請願」を提出している[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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