浅野いにお
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浅野 いにお

生誕 (1980-09-22) 1980年9月22日(43歳)
日本茨城県石岡市
職業漫画家イラストレーター
活動期間1998年 -
ジャンル青年漫画成人向け漫画
代表作『ソラニン
おやすみプンプン
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション[1]
受賞第66回 (2020年度)小学館漫画賞 一般向け部門『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』[2]
第25回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』
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浅野 いにお(あさの いにお、1980年9月22日 - )は、日本漫画家
経歴
幼少期・学生時代

茨城県石岡市出身。地元の原風景は畑と工場、トラックを通すための大きな道路で“無機質な田舎”だと言う[3]

インドアな子供で大勢で外で遊ぶより1人で絵を描くことが好きだった[3]。幼い頃は車や恐竜を描いており、小学校4・5年生の頃は同級生の影響で『ファイナルファンタジー』の戦闘シーンを描いていた。『トランスフォーマー』の変形ロボット玩具も好きで、その玩具自体で遊ぶだけでなく自分で紙に描き折って変形するなどの遊び方もしていた。

小学生時代は6歳上の姉の持っていた漫画や本を主に読んでおり、初めてインパクトを受けた漫画は『ハイスクール!奇面組』(新沢基栄)。他には『ドラえもん』のコミックスや図鑑、1980年代の終わりに放送されていたアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』が好きで『鬼太郎の天国と地獄』をよく読んでいた[3]。漫画はリアルタイムのものは読んでいなかった。BB戦士ミニ四駆のブームだった小学3年生の頃はそれらを取り上げていた『コミックボンボン』と『コロコロコミック』の2誌を習慣として買ってもらっていた[3]。小学校高学年になると『週刊少年ジャンプ』を読むようになる。『ドラゴンボール』のような看板作品の他、『珍遊記』(漫☆画太郎)、『王様はロバ』(なにわ小吉)などの不条理漫画に惹かれた[3]。姉の影響で『伝染るんです。』(吉田戦車)もよく読んでいた。その後の『ストリートファイターII」のブームの頃に買った『ファミコン通信』に衝撃を受けた[3]。同誌で後に多大な影響を受ける桜玉吉の漫画を知る。『しあわせのかたち』の他、「コミックビーム」の『防衛漫玉日記』『幽玄漫玉日記』に影響を受けた。中学生時代は『ファミ通』の他、『VOW』を愛読していた[3]

また、テレビっ子で『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』やとんねるずの「仮面ノリダー」、『風雲!たけし城』などのバラエティ番組が好きだった。テレビの世界には進もうとは思わず、漫画家の方が現実的に目に映り、漫画の描き方を教える『キャプテン翼』の同人本を真剣に熟読していた[3]。つけペンなどの漫画の専門的な画材は地元では手に入らなかったため、ノートに鉛筆やボールペンで漫画を描いていた。中学生になるとつけペンを手に入れて漫画を描くようになる。当時は漫画家よりトレンディドラマの主人公のような東京のサラリーマンに憧れていた[3]

音楽は小学生時代は姉が録音していた『ユニコーン』のアルバムを、中学生時代からは自分の小遣いでCDを買うようになり、格闘ゲームのCD『餓狼伝説スペシャル』、バンドだと『JUDY AND MARY』をよく聴いていた[3]

地元のヤンキー文化に馴染めず、学区外のつくば市の高校(公立共学校)に進学。自由な校風で友達にも恵まれた[4]ヘヴィメタルのコピーバンドのベースをしていた[3]。中学の終わり頃に『東京大学物語』(江川達也)でスピリッツを知る。高校時代は、友人の影響でアングラな漫画や音楽に触れ『ガロ』を読み始める。古屋兎丸岡崎京子よしもとよしともの漫画が好きだった。岡崎京子の漫画だと短編集『チワワちゃん』に特に影響を受けた。この頃から勉強をしなくなり、ひとつの授業の間に4コマ漫画を最低一本描くことをしていた[3]
デビュー以後

高校2年生の春休みに描いた4頁のギャグ漫画『菊地それはちょっとやりすぎだ??』(浅野いにを名義)が『ビッグコミックスピリッツ増刊Manpuku!』(小学館)に山本直樹代原として掲載され、持ち込みからわずか1週間でデビューした。しかし周りの反応は薄かった。「漫画は所詮子供の読み物」という世間一般の認識に自分の「子供向けじゃない漫画」を世に知らしめようとアングラ雑誌ではなく商業誌『スピリッツ』での連載を目指す[3]。高校3年生になると大学受験のため1年程漫画から離れた。

玉川大学文学部芸術学科(専攻?情報デザイン)に進学[3]。玉川大学を選んだ理由は『ファミ通』でエッセイ漫画を連載していた餅月あんこの出身校だと踏んだため[3]。また、地元を離れ上京したいためとも語り、町田に住み始める。この頃からギャグ漫画ではなくストーリー漫画を描き始める。その後も何度か読切作品が掲載されるも、連載を持つまでの4年間は、編集者との衝突などから漫画家を続けていく自信を失ってしまいながらも自分の作風を模索する下積み時代を送る。浅野自身この時期を「なにをやっても虚しいしうまくいかない時期だった」と振り返っている。

2001年、『月刊サンデーGENE-X』(小学館)による第1回GX新人賞に『宇宙からコンニチハ』で入選、同年6月号に掲載。初の連載作品となる『素晴らしい世界』からデジタル作画に移行する。

ソラニン』は宮アあおい主演により映画化され、2010年に公開された[5]

2014年、『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を連載[6]


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