浅虫温泉
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浅虫温泉
柳の湯
温泉情報
所在地青森県青森市大字浅虫
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座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度53分28.7秒 東経140度51分44.2秒 / 北緯40.891306度 東経140.862278度 / 40.891306; 140.862278
交通青い森鉄道線浅虫温泉駅下車徒歩5-15分[1]
泉質ナトリウム・カルシウム - 硫酸塩 - 塩化物泉[2]
泉温(摂氏)平均63℃[3]
宿泊施設数10(2017年[4]
年間浴客数166,000人(2016年[4]
外部リンク ⇒一般社団法人 浅虫温泉観光協会・浅虫温泉旅館組合
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浅虫温泉郷遠望

浅虫温泉(あさむしおんせん)は、青森県青森市浅虫(旧国陸奥国)にある温泉。海水浴やスキー、水族館や遊園地といったさまざまなレジャー施設も兼ね備えた観光地として賑わい、「東北の熱海[5]」、「青森の奥座敷[6]」などと呼ばれた。

陸奥湾に突出する夏泊半島の基部に位置し、浅虫夏泊県立自然公園の一角を成している。
泉質

旧表記:含石膏
弱食塩泉[3]、または含食塩石膏泉食塩泉[1]

新表記:ナトリウム・カルシウム-硫酸塩-塩化物泉[2]
(※新旧の表記については泉質参照)

効能:神経痛リューマチ婦人病[1][2][3]

源泉温度:平均63℃[3]、56℃ - 70℃[1] など
かつて浅虫温泉にはいくつもの源泉があり、30℃から78℃で湧出していた[2]。しかし乱掘によって湧出量の減少をみたうえ、泉質が変わって食塩泉となった。そのため1968年(昭和43年)に源泉を1箇所に統合して汲み上げることとなった。こうした方式は当時の日本では珍しい試みだったという[3]。源泉から46℃に調整後、各温泉施設や一般家庭へ配湯が行われている[3]
歴史

開湯伝説は慈覚大師(円仁)や円光大師(法然)による発見説を伝える[7]。かつて浅虫は「麻蒸」と表記したことからアサを蒸していたのだろうとする語源説が有力である[7]。また、アイヌ語の「アッサ・モシリ」(裸の・島)に由来するという笹澤魯洋による新説[8]、さらに「asam・us」(湾の奥の)であるとする異説もある[9]。出湯のやかたに宿つきたり。湯は滝の湯、目のゆ、柳のゆ、おほゆ、はだかゆなどのいときよげにわき、はた、軒をつらねたる家々のしりにも、ゆのありてやよけん。里中に烹坪とて、ふちふちとにへかへる温湯あり[7]。 ? 菅江真澄(1754年 - 1859年)、『率土が濱傅ひ(外が浜伝ひ)』(天明8年(1788年))
開湯の伝説

江戸時代に東北地方の旅行記を刊行した菅江真澄(1754年 - 1859年)は、『率土が濱傅ひ(外が浜伝ひ)』(天明8年(1788年))の中で、現地の伝承を紹介した[10]。これによると、温泉は「烹坪(につぼ)」と称し、もっぱら源泉でアサを蒸して繊維をとり、織布とするために利用していたことからかつては「麻蒸」と呼んでいたという[10]。しかし村で火災が頻発したことから、火に関連する「蒸」の字を忌み、「浅虫」と書き表すようになったという[3][10][11]

温泉の発見については伝説があり、平安時代の1190年頃、浄土宗の開祖法然(1133年 - 1212年)が陸奥国を訪れた際、シカが怪我を癒すために湯に浸かっていたのを見出したという[2][3][注 1]。これにはさらに古く遡る異伝があり、発見者を円仁(794年 - 864年)に帰す伝承もある[11]。いずれの場合にも、地元の住民は入浴の効能を知らなかったため、発見者の仏僧が浴用とすることを住民に教えたのだとされる[3]
近世

中世末期の天文年間(1532年 - 1555年)の史料には「麻蒸湯」と記されている[10][13]江戸時代になると温泉地としての言及が増え、貞享4年(1687年)の検地帳では「出湯」4箇所と記録されている[10]

弘前藩では領内の温泉地18箇所のうちの1つと数え、御仮屋・御陣屋を備えた御休所とされている[10]。藩主は青森や外が浜を巡察する際には浅虫温泉に立ち寄って入浴した[7]。当時の藩主が利用した本陣が、現在の「柳の湯」であると伝わる[14]享保9年(1724年)には村で火災があり、「本陣」も焼損被害を受けたという記録も残されている[7]

前述の菅江真澄のほか、同時代の地理学者古川古松軒(1726年 - 1807年)は幕府の巡見使に帯同して天明8年(1788年)に浅虫温泉を訪れており、その際の様子が『東遊雑記』8月24日の記録に著されている[7]。此所は青森より三里といへども大ひに遠し。此地海浜にのぞみて温泉あり、至ての熱湯にて湯つぼより流れ出る湯、川々へ落て湯気の立あがる事煙のごとし[7] ? 古川古松軒(1726年 - 1807年)、『東遊雑記』


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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