この項目では、東京都台東区にある東武鉄道、東京メトロ、都営地下鉄の駅について説明しています。
同区にある首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)の駅については「浅草駅 (首都圏新都市鉄道)」をご覧ください。
その他の浅草駅については「浅草駅 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
浅草駅
浅草エキミセ(2018年10月24日撮影)
あさくさ
Asakusa
所在地東京都台東区
所属事業者東京地下鉄(東京メトロ・駅詳細)
東武鉄道(駅詳細)
東京都交通局(都営地下鉄・駅詳細)
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浅草駅(あさくさえき)は、東京都台東区にある、東武鉄道・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。
台東区最東端の駅である。所在地は東京メトロが浅草一丁目、東武鉄道が花川戸一丁目、都営地下鉄が駒形一丁目である。
同じ駅名である首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの浅草駅は、浅草寺を挟んで反対側の国際通り地下にあり、接続駅・乗換駅扱いになっていない。詳細は「浅草駅 (首都圏新都市鉄道)」を参照。 東京を代表する観光地・浅草の玄関口であり、浅草寺やその門前町の仲見世通り、雷門などの有名な観光地がほど近い。かつては「浅草六区」を中心に劇場や映画館などの興行施設が集積する東京屈指の繁華街であったが[1]、高度経済成長期以降はそれらの施設は衰退し[2]、現在は国内外から多くの観光客が訪れる観光地となっている。 1927年(昭和2年)に東洋初の本格的な地下鉄路線である東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)当駅 - 上野駅間が開業したことにより、当駅の歴史は始まった[3]。1931年(昭和6年)には東武鉄道の東京側の起点駅として、東武伊勢崎線を現在のとうきょうスカイツリー駅から延伸する形で「浅草雷門駅」として開業した。その際駅ビルとして百貨店の松屋浅草が併設され、これは東京初のターミナル駅直結型の百貨店であった(現・浅草エキミセ)[広報 1]。東武鉄道の浅草駅は駅の構造上の理由で両数の多い編成は入線に制約があり、当駅は通勤列車のターミナル駅としての機能が弱かった[4]。また戦後に新宿・渋谷・池袋など山手線各ターミナルの発展から取り残される形で、浅草は相対的に急速に賑わいを失っていった[2]。そのため、東武は北千住駅から東京メトロ日比谷線に、押上駅から東京メトロ半蔵門線に直通運転することで都心部への通勤客の利便性と輸送力を確保している[4]。そういった経緯から東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の起点駅であるにもかかわらず、実質的なターミナル駅は多数の路線が集積している北千住駅がその役割を担っている[4]。なお、日光や鬼怒川温泉、両毛地域に向かう特急列車は地下鉄に直通出来ないため当駅を起点としている。 東京メトロの銀座線、東武鉄道の伊勢崎線(旅客案内上では当該区間の愛称である「東武スカイツリーライン」が使われる)、都営地下鉄の浅草線が乗り入れ、接続駅となっている。銀座線と伊勢崎線は当駅が起点である。また、銀座線に「G 19」、伊勢崎線(東武スカイツリーライン)に「TS 01」、浅草線に「A 18」の駅番号が設定されている。 大正時代の東京は路面電車が主要な交通機関だったが、渋滞による遅延が頻発しており、常に超満員の状態であった[5]。1917年(大正7年)に早川徳次が東京軽便地下鉄道を設立し[5]、1919年(大正8年)に免許を取得した[5]。その後、1920年(大正9年)に起きた戦後恐慌、1923年(大正12年)に起きた関東大震災によって資金繰りが困難となり、建設区間を短縮して東京一の繁華街であった浅草と国鉄のターミナル駅であった上野の2.2 kmを建設することにした[6]。1925年(大正14年)に着工し、1927年(昭和2年)12月30日に東京地下鉄道の浅草駅が開業した。開通初日は始発前から乗客が各駅に殺到して約10万人が利用した[5]。 地下鉄が開業した4年後の1931年(昭和6年)5月25日に、東武鉄道の駅が浅草雷門駅(あさくさかみなりもんえき)として開業した[7][8]。東武鉄道の浅草延伸にあたっては、隅田川を渡る区間で京成電気軌道と競合になったが、1928年(昭和3年)に起きた京成電車疑獄事件により、京成電気軌道は浅草への乗り入れを断念した。
概要
乗り入れ路線
歴史
年表リニューアル前の銀座線出入口(2009年6月)
1927年(昭和2年)12月30日:東京地下鉄道の駅が開業[9][10]。
1931年(昭和6年)
5月24日:東武ビルディングが竣工[7]。
5月25日:東武鉄道の駅が浅草雷門駅として開業、乗換駅となる[7][8]。
8月1日:東武鉄道と銀座線の駅間を結ぶ地下連絡通路が完成[11]。
11月1日:松屋浅草店が開店[12][8]。
1941年(昭和16年)9月1日:陸上交通事業調整法により、東京地下鉄道が路線を帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に譲渡[13]。
1945年(昭和20年)
3月10日:東京大空襲により、東武鉄道の駅舎内部が焼失する被害を受ける[14][8]。
10月1日:東武鉄道の駅が浅草駅に改称[15][8]。
1954年(昭和29年)7月19日:東武浅草駅に同社初の機械式自動券売機を設置[16]。
1957年(昭和32年)3月:東武浅草駅ホームを増設[17]。
1960年(昭和35年)
11月8日:営団地下鉄が輸送力増強を目的とした車両増備に対応するため、北側に3線トンネルを約196 m延伸し、31両分の車両の収容が可能となる留置線を建設[18][19]。
12月4日:都営地下鉄1号線の駅が開業[20]。
1961年(昭和36年)6月1日:都営地下鉄との連絡運輸開始[21]。
1963年(昭和38年)5月1日:都営地下鉄1号線との連絡通路を銀座線1番線ホーム南端に設置[22][19]。
1978年(昭和53年)7月1日:都営地下鉄1号線が浅草線に改称[23]。
1991年(平成3年)頃:東武浅草駅に発車メロディを導入。
1997年(平成9年)10月14日:「関東の駅百選」に選定[24]。選定理由は、営団地下鉄が「浅草寺を考慮し、浅草の土地柄に馴染んでいる仏閣デザインの地下鉄の長老駅」、東武鉄道が「昭和6年『浅草雷門駅』として開業、駅の上はデパート」[25]。なお、都営地下鉄は対象外[25]。
2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄の民営化に伴い、銀座線の駅が東京地下鉄(東京メトロ)に継承される[広報 2]。
2006年(平成18年)3月18日:この日の東武鉄道のダイヤ改正において、準急が区間急行に名称が変更され、当駅発着の準急は廃止となる[広報 3][注釈 1]。当駅を発着する日中の一般列車は新設された区間快速、区間準急、当駅と北千住間を結ぶ普通列車のみとなった[注釈 2]。
2007年(平成19年)3月18日:東武鉄道・東京メトロ・都営地下鉄でICカード「PASMO」の利用が可能となる[広報 4]。
2009年(平成21年)1月頃:東武浅草駅5番線ホームに柵を設置。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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