浅草演芸ホール
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浅草演芸ホール
ASAKUSA ENGEI HALL


情報
正式名称浅草演芸ホール
開館1964年
客席数340席(1階:239席、2階:101席)
用途落語定席
運営東洋興業株式会社
所在地111-0032
東京都台東区浅草1-43-12
外部リンクwww.asakusaengei.com
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浅草演芸ホール(あさくさえんげいホール、英語:ASAKUSA ENGEI HALL)は、東京都台東区浅草の通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する寄席である。都内に4軒ある落語定席国立演芸場も入れると5軒)の一つで、落語を中心に、漫才奇術などの色物芸が多数執り行われている。東洋興業株式会社が経営している。
概要

客席数は1階が239席、2階が101席の計340席と、都内にある寄席の中では最大であり、その他のお笑い専門劇場を含めてもルミネtheよしもと(458席)に次ぐ2番目の規模である。1階は全席椅子席で、テーブルはついてない。2階席にエレベーターはなく、階段でのみ行き来が可能である。

場内飲食・飲酒は可能。ただし、酒類の外部からの持ち込みは不可。1階には売店があり、酒類も販売している。また自動販売機もある。

楽屋は下手側(客席から見て左側)にある。かつて、メクリ寄席文字(ビラ字)でなく、丸ゴシックを変形させた特殊な字体であった[注釈 1][1](木戸に書かれた出演者の名前も明朝体で書かれた時期がある。現在はいずれも寄席文字だが、いつ変わったのかは不明)

はとバスなどの日帰りバスツアーのプランに組み込まれて入場する団体客が多く、読売ファミリーサークルなどの招待券で無料入場する観客も多い。また観光地の中心にあり、演芸ホール自体が観光地化していることもあり、寄席の出演者にかかわらず混雑していることが多く、立ち見を強いられることも多い。そのようなことから、落語ファンではない客層が多い寄席ということもあり、客同士がおしゃべりをしたり、携帯電話の着信音がなるなどノイズが多く、他の寄席に比べて騒がしい。このような騒がしさを落語家もマクラなどでネタにすることが多く、もっぱら落語ファンの間で「浅草の客」といえば、ガヤガヤとした落ち着きがない客のことを指す。
略歴
前史

「浅草演芸ホール」の位置する浅草公園六区4号地北東の角地には、1884年明治17年)に同地が区画整理され、その後に建てられた「開進館勧工場」があり、1907年(明治40年)7月16日、同勧工場に替わって、映画会社・吉沢商店(現在の日活の前身の一社)が開場した映画館「三友館」が開場した[2]

1945年昭和20年)、第二次世界大戦が終了、6年後の1951年(昭和26年)、東洋興業が、「三友館」跡地にストリップ劇場「フランス座」を開業した。

1959年(昭和34年)、フランス座を一旦閉場し、改築した5階建てビルの1?3階に演劇の新しい劇場「東洋劇場」を開場。上階の4?5階に「フランス座」を再開した。

戦後長く、芸処・浅草に落語定席が無かった。日本芸術協会(現在の落語芸術協会)の幹部落語家・二代目桂枝太郎は、同じアパートにたまたま東洋興業従業員の高崎三郎が住んでいたことから彼に対し、「浅草には寄席が一軒もない。東洋興業は東洋劇場・フランス座ともに同じような出し物をしている。どちらかを寄席にしてみては」と持ちかける。高崎はこの話を同社社長・松倉宇七に持ち込んだところ、松倉もこれを受け、企画替えとして「フランス座」を閉鎖して改装を行い、1964年(昭和39年)、浅草演芸ホールを開場した。
開場

1964年(昭和39年)、「東洋劇場」4階と5階にあった「フランス座」を改装して落語定席「浅草演芸ホール」は開場した[3]

1971年(昭和46年)、東洋興業が同地での演劇から撤退し、1階の「東洋劇場」を閉鎖した。空いた1階に本ホールが移った[3]

同年、上階に再開場した「フランス座」は、1982年(昭和57年)に再度閉館、1987年(昭和62年)に三度開場したが、経営不振により1999年平成11年)ストリップ興行を打ち切った[4]。かつて東洋興業が経営していた「ロック座」は、既に元踊り子・斎藤智恵子に譲り渡していたため、東洋興業はストリップから完全撤退となった。2000年(平成12年)、建物上部を改装し色物専門の演芸場「東洋館」として新規開場、本ホールの姉妹館となった。
2020新型コロナウイルス感染症流行に伴う対応

2020年(令和2年)、新型コロナ感染予防に関する政府の緊急事態宣言とそれに伴う営業自粛要請を受け、3月28・29日、4月4日 - 5月31日は休席(休館)となった。長期休館により収益に打撃は受けたが、従業員の解雇は免れている[5]

6月1日から感染防止の対策を講じ、定員を限定した上で興行を再開している。また、興行によっては昼夜入替制をとっている。

2021年(令和3年)1月7日に一都三県へ発令された緊急事態宣言を受け、引き続き客席数を50 %に制限の上、第三部の出演者の一人当たりの出演時間を短縮することで終演時間を21:00から20:00に繰り上げて公演を継続していたが、同月20日に落語協会の関係者に複数人の新型コロナウイルス陽性者が確認されたことを受けて、落語協会が受け持つ21日から30日および31日昼の部の一月下席を休席(休業)。31日夜の余一会「昭和元禄落語心中寄席」から興行を再開した[6]

2021年(令和3年)3月21日の三月下席からは、緊急事態宣言の解除を受け、昼夜入替なしで定員数は半分以下のまま、終演時間を21:00とした。その後、再度の緊急事態宣言により終演時間が再び20:00となる。

同年8月3日、落語芸術協会興行夜の部に出演のお囃子1名が発熱、4日に陽性と判明。5日夜の部を休席として、6日から公演を再開した。

2022年(令和4年)1月19日、落語芸術協会会長で同協会正月二之席の昼の部主任であった春風亭昇太の新型コロナウイルス陽性が判明(昇太は18・19日と休演)し、同日夜の部および翌20日の昼夜興行を中止して館内の消毒作業を行う[7]

同年8月中席に出演中であった二代立花家橘之助が16日[8]柳家三三が17日に[9]四代目三遊亭圓歌が19日に[10]それぞれ新型コロナウイルス陽性であることが判明したが、楽屋内で濃厚接触者にあたる者はいないと判断。場内関連箇所を消毒の後、興行は通常どおり行った。
YouTube「浅草演芸ホールチャンネル」

2021年(令和3年)4月25日に発出された3回目の緊急事態宣言の際、演芸ホールは、ウェブサイト上で東京都からの無観客開催の要請の文章に「社会生活の維持に必要なものを除く」とあると指摘。その上で「大衆娯楽である寄席は『必要なもの』に該当すると判断した」として感染防止策を続けた上で引き続きの営業を決めていたが[11]、28日、改めての都の要請を受け5月1日から11日まで休業を決めた[12]

そこで5月1日より鈴本演芸場の協力のもと、急きょ YouTube チャンネルを立ち上げ、落語協会5月上席の公演を5月16日まで緊急無料生配信、芸人応援チケットを鈴本演芸場チケットでオンライン販売した。

2021年5月上席 浅草演芸ホールチャンネル番組 公演・生配信日主任備考
5月5日昼林家木久扇開演前に五明楼玉の輔春風亭三朝のトーク有
5月5日夜柳家喬太郎開演前に五代目桂三木助柳家小んぶのトーク有

番組

毎月10日ごとに出演者・演目が入れ替えられている。

上席(かみせき)1日?10日

中席(なかせき)11日?20日

下席(しもせき)21日?30日

出演者は以下のとおり。

奇数月上席(かみせき)1日?10日 -
落語協会

奇数月中席(なかせき)11日?20日 - 落語芸術協会

奇数月下席(しもせき)21日?30日 - 落語協会

偶数月上席(かみせき)1日?10日 - 落語芸術協会

偶数月中席(なかせき)11日?20日 - 落語協会

偶数月下席(しもせき)21日?30日 - 落語芸術協会

設立時は初席のみ日本芸術協会だったが、落語協会(六代目三遊亭圓生会長)により奪取され、1967年(昭和42年)に上記のルールがそのまま適用されるようになった。客入りが望める初席、ゴールデンウィーク(5月上席)は落語協会の芝居となる。


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