浅田美代子
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あさだ みよこ
浅田 美代子
本名浅田 美代子(同じ)
生年月日 (1956-02-15)
1956年2月15日(68歳)
出身地 日本東京都港区
身長157cm
血液型O型
職業女優タレント歌手
ジャンルテレビドラマ映画舞台バラエティ番組への出演
活動期間1973年 - 1977年
1983年 -
活動内容1973年:『時間ですよ(第3シリーズ)』で芸能界デビュー
同年:『赤い風船』で歌手デビュー
1974年:『寺内貫太郎一家
1977年:吉田拓郎と結婚、芸能界一時引退
1983年:女優として芸能界復帰
1984年:吉田と離婚
1995年:『恋も2度目なら
1992年 - 2014年:『さんまのからくりTV』(1996年より『SUPERからくりTV』)
1994年 - 2009年:『釣りバカ日誌』シリーズ
配偶者吉田拓郎(1977年 - 1984年)
事務所テアトル・ド・ポッシュ
公式サイトプロフィール
主な作品
テレビドラマ
くれない族の反乱
101回目のプロポーズ
冠婚葬祭部長
映画
釣りバカ日誌』シリーズ
バラエティー番組
さんまのSUPERからくりTV
メレンゲの気持ち

 受賞
第15回日本レコード大賞新人賞
『赤い風船』日本映画批評家大賞
助演女優賞
2020年朝が来る

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浅田 美代子(あさだ みよこ、本名同じ、1956年〈昭和31年〉2月15日 - ) は、日本女優タレント・元アイドル歌手である。愛称は「美代ちゃん」「美代子さん」。身長157cm、血液型O型。所属事務所芸映プロダクションテアトル・ド・ポッシュ、歌手活動当時の所属レコード会社はCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ、当時の所属レーベルEpic)。

東京都港区出身[1]港区立南山小学校から東京女学館中学校を経て東京女学館高等学校中退。
来歴

1956年昭和31年)2月15日、東京都港区で生まれる。家族は祖父の代から麻布で自動車修理工場を経営する父と母、弟[1]。両親に薦められ自宅から徒歩圏の東京女学館小学校を受験するも不合格となり、中学で再受験し合格した[1]

東京女学館高等学校2年在学中の1972年(昭和47年)夏、街頭でスカウトされる。当初両親は芸能界入りに反対していたが、芸映側が交渉の過程でドラマ『時間ですよ』の新人オーディションへの参加を提案、それに応じたところ、約25,000名の中から選ばれる。これで芸能界入りするが、東京女学館は芸能活動を禁じているため高校を中退する。

1973年(昭和48年)2月14日、『時間ですよ』(第3シリーズ)のお手伝い役でデビュー[2]。キャッチフレーズは「ソニー・エンジェル」[3]。国民的な高視聴率番組だったことも加わって、たちまち人気を集める。また劇中歌でデビュー曲の「赤い風船」(現代の童謡をコンセプトに作られた楽曲と伝えられる)は、1年で50万枚近くを売り上げオリコンの年間セールス10位の大ヒット(この年の新人歌手のシングルでは最大のヒット)となり、1973年の第15回日本レコード大賞で新人賞を受賞する。その後も『寺内貫太郎一家』や『時間ですよ・昭和元年』などの人気ドラマに出演すると共に、映画出演や歌もヒットする。

当時NHKに歌手として出演するためには局のオーディションに合格する必要があったが、通常1、2回で済むところ、彼女は5回目でようやく合格した[4]

1975年(昭和50年)「なつかしき海の歌」(TBS)での共演の頃からフォーク歌手シンガーソングライター吉田拓郎との交際の噂が流れ、1977年(昭和52年)7月、21歳で吉田拓郎と結婚。芸能界を引退し主婦業に専念する[1]

しかし、6年3か月後の1983年(昭和58年)10月に芸能活動を再開し、以降は数多くのドラマや映画に出演する。その当時浅田は、吉田との離婚話が取り沙汰され一旦否定したものの、翌1984年(昭和59年)8月に吉田と協議離婚が成立した。

親交がある明石家さんま司会のバラエティー番組の常連としても活躍しており、『さんまのSUPERからくりTV』で見せた強烈な天然キャラで人気となった。さんまは「天然(おバカキャラ)で有名になった里田まいなどよりも天然である元祖天然」と語り、数々のエピソードが持ちネタの1つでもある。

2019年に公開された映画『エリカ38』では、映画としては1974年の『あした輝く』以来45年ぶりとなる主演を務めた[5]。同作の演技により、ロンドン・イーストアジア映画祭で審査員特別賞を受賞(日本人女優として初受賞)[注釈 1]
人物

趣味・特技は
ピアノテニス自動車のメカニズムにも精通している。

麻丘めぐみ南沙織の2人はデビュー時からの親友ともいえる関係で、結婚後の引退時、毎日の様に会っては一緒に買い物へ出かけたり、お茶を飲んだりしていたと語っている。

石野真子を妹のように可愛がっている。石野が長渕剛との離婚報道が出た1983年に別居した後、マスメディアに追いかけ回されるのを避けるため、浅田・吉田拓郎邸に2ヵ月間身を潜めた[7]

樹木希林には、亡くなるまで公私共にとても可愛がられていた。吉田との結婚に猛反対していた両親を説得したのも内田裕也と樹木夫妻である[1]。2021年には、樹木との思い出をまとめた書籍『ひとりじめ』(文藝春秋)を上梓している。また、淡路恵子とも親交が深かったほか、木内みどりとも仲が良かった。

アイドル時代は「歌が下手なのに売れている」などと言われており、文筆家の但馬オサムは浅田の歌唱力に疑問符を付ける文を2017年に残している[8]。一部の同僚歌手から嫌がらせを受けていたところを庇ってくれたのが、青江三奈であった。

イワイガワ井川修司は、浅田の付き人をかつて務めており、浅田には「イガピー」と呼ばれている。事務所の先輩でもある関根勤とは、浅田の付き人時代に初対面を果たしており、浅田と関根が共演していた「からくりTV」の収録中、浅井企画のマネージャー陣と交流を深めたことをきっかけに芸能界入りした。


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