日本の政治家浅田 均あさだ ひとし
2020年5月13日、首相官邸にて
生年月日 (1950-12-29) 1950年12月29日(73歳)
出生地 日本 大阪府大阪市城東区
出身校京都大学文学部哲学科
スタンフォード大学大学院修士課程
前職日本放送協会職員
経済協力開発機構 (OECD) 日本政府代表部専門調査員
大阪府議会議員秘書
所属政党(自由民主党→)
(大阪維新の会→)
(旧日本維新の会[1]→)
(維新の党[1]→)
(おおさか維新の会[1]→)
日本維新の会/大阪維新の会
親族父・浅田貢(元大阪府議会議員)
公式サイト ⇒浅田 均 Online
参議院議員
選挙区大阪府選挙区
当選回数2回
在任期間2016年7月26日 - 現職
第107代 大阪府議会議長
在任期間2011年5月 - 2014年5月
大阪府議会議員
選挙区大阪市城東区選挙区
当選回数5回
在任期間1999年 - 2016年6月
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浅田 均(あさだ ひとし、1950年〈昭和25年〉12月29日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の参議院議員(2期)、日本維新の会参議院会長、参議院国家基本政策委員長。
大阪府議会議員(5期)、大阪府議会議長(第107代)、大阪維新の会政調会長、(旧)日本維新の会政務調査会長、日本維新の会政務調査会長などを歴任した。 大阪府大阪市城東区生まれ。大阪市立今福小学校、大阪市立放出中学校、大阪府立大手前高等学校[2]、京都大学文学部哲学科卒業。アメリカ合衆国スタンフォード大学大学院修士課程修了。その後NHK、経済協力開発機構に勤務した[2]。 1999年、大阪府議会議員選挙に城東区選挙区から立候補し、初当選を果たした。 2005年、自由民主党大阪府議団政務調査会長に就任(2006年まで)。 2007年の大阪府議会議員選挙では、自民党府議団副幹事長の職にありながら、選挙公約に「地域政党(ローカルパーティ)の設立」を掲げた[3]。 2008年、自民党大阪府議団幹事長に就任(2009年まで)。 2009年10月、自民党大阪府議団を離脱し、大阪府議会に会派「自由民主党・ローカルパーティー」を結成。 2010年4月、大阪維新の会府議団を結成し、代表に就任する。同月19日には、地域政党「大阪維新の会」の結党に参加し、代表に橋下徹大阪府知事、幹事長に松井一郎大阪府議会議員、政調会長には浅田が就任した。この時に作成された「大阪再生マスタープラン」には、「(大阪)府市統合」「広域行政の一元化」等、従来から浅田が主張してきた政策が盛り込まれている[3]。 2011年5月、第107代大阪府議会議長に選出された[4]。同時に大阪市会では大阪維新の会所属の大内啓治が、堺市議会では大阪維新の会所属の馬場伸幸が議長に選出され、大阪府・大阪市・堺市の各議会の議長を大阪維新の会所属の議員が独占した。 2012年4月、維新政治塾が発足し、同塾の運営を担当[5]。 2012年5月、大阪府議会議長に再任。なお、従来は議長は1年で交代する慣例が存在し、副議長の横倉廉幸(大阪維新の会)はこの慣例に従い、退任した[4]。 2012年8月、浅田の起草による維新八策[5]が、日本維新の会の党綱領に採択された[6][7]。 大阪府議会議長を3期3年務めていたが、大阪府市法定協議会会長の職務に専念するとして、2014年5月に議長を退任(後任議長は岡沢健二)。 2014年9月21日、所属する日本維新の会が結いの党と合流し、維新の党となったことに伴う新たな党役員人事の結果、浅田は同党の政調会長代行に就任することとなった(会長は柿沢未途)[8][9][10]。 2015年、維新の党の分裂によりおおさか維新の会に参加。同党政調会長に就任した。 2016年7月の第24回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区より立候補し[11]、大阪維新の会の大阪府議(堺市南区選出の府議を除く)と大阪市城東区選出の市議が選挙対策本部として支え[12]、同党の第2位で当選した。 2021年11月、党政調会長を退任し、参議院会長に就任[14]。 2022年7月10日、第26回参議院議員通常選挙にて、3位で再選。
来歴
政策・主張
憲法
憲法改正について、2022年のNHK、毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[15][16]。
9条改憲について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「改正して、自衛隊の存在を明記すべきだ」と回答[16]。