浅村栄斗
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浅村 栄斗東北楽天ゴールデンイーグルス #3
2023年4月 楽天モバイルパーク宮城
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府大阪市東淀川区
生年月日 (1990-11-12) 1990年11月12日(33歳)
身長
体重182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手一塁手三塁手
プロ入り2008年 ドラフト3位
初出場2010年3月31日
年俸5億円(2024年)[1]
※2023年から4年契約[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


大阪桐蔭高等学校

埼玉西武ライオンズ (2009 - 2018)

東北楽天ゴールデンイーグルス (2019 - )

国際大会
代表チーム 日本
五輪2021年
プレミア122019年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
男子 野球
日本
オリンピック
2020野球
WBSCプレミア12
2019

浅村 栄斗(あさむら ひでと、1990年11月12日 - )は、大阪府大阪市東淀川区出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。

2023年シーズンから主将を務める[3]
経歴
プロ入り前

3人兄弟の末弟。大阪市立井高野小学校4年からソフトボールを始め、大阪市立井高野中学校1年から硬式の都島ボーイズで野球を始める。中学時代は特に目立った選手ではなかったが、次兄(中村剛也岩田稔らと同学年)が大阪桐蔭の野球部出身であったため、父親が同校野球部監督の西谷浩一に栄斗のプレーを見て欲しいと連絡し、プレーを見た西谷の判断で入学が決まった[4]

大阪桐蔭高等学校では1年秋からベンチ入り。第79回選抜高等学校野球大会ではベンチ入りできなかったものの、2年夏からは二塁手で背番号14ながらも全試合レギュラーとして出場。最高学年となった新チームがスタートすると遊撃手を守るようになり、2008年第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。「1番・遊撃手」として全6試合に出場、29打数16安打(2本塁打)、守備でも好プレーと攻守にわたる活躍で大阪桐蔭高校の優勝に貢献。1回戦の大分県立日田林工高等学校戦で5安打を記録し、2回戦の金沢高等学校戦では2本塁打を記録した。守備面でも10回に中堅に抜けようかという打球を好捕、ノーバウンドスローで一塁に送球しアウトとした。決勝の常葉学園菊川高等学校戦では7回の守備で無死二塁で投手のグラブを掠めた打球を三塁に送球しアウトをとるなど美技といわれる守備で注目された。高校最後の打席もレフトスタンドへのソロ本塁打を記録した[5]。高校通算22本塁打[5]

2008年10月30日に行われたプロ野球ドラフト会議埼玉西武ライオンズから3位指名を受け[6]、契約金5000万円、年俸600万円で仮契約を結んだ[7]。背番号は32。
西武時代

2009年(1年目)は一軍出場なし。

2010年3月31日の福岡ソフトバンクホークス戦で代打としてプロ入り初出場。左翼線への適時二塁打を放ちプロ入り初安打・初打点を記録した。2010年8月10日の楽天戦でプロ入り初本塁打[8]、そこから約2か月後の9月26日の公式戦最終戦では先制の2号2点本塁打を打った。また、この2本の本塁打はどちらもクリネックススタジアム宮城で記録している。2011年、県営大宮球場にて

2011年は開幕スタメン入りを果たし、レギュラーの座を1年間守った。守備位置は固定されず、外野もこなした。オープン戦では片岡易之の出遅れのため片岡の復帰まで主に二塁手として試合に出場、片岡が復帰してから交流戦までは主に一塁手、交流戦の指名打者が使えない試合では一塁に回るホセ・フェルナンデスのために左翼手を務めることになった。交流戦明けからは他の選手の入れ替わりにより、一塁手、二塁手、三塁手、左翼手に加え右翼手としての出場も記録。中盤は打撃の調子を落としたが、再び一塁手に固定された10月は打率が.460とリーグトップの成績を残し、初の月間MVPを獲得した[9]

2012年は開幕を一軍で迎えたが、打撃不振に陥り5月21日に二軍落ちした。一軍再昇格後は打撃が復調し、8月に栗山巧が左手の負傷で離脱後は、シーズン終了まで1番打者として起用された。

2013年は開幕からしばらく一塁手で起用された。遊撃手を任せられることもあったが、失策が多くほぼ一塁手専任になると共に離脱中の中村剛也の代役として4番打者を任されるようになった。5月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦でプロ入り後初めて4番打者を務めたことによって、一軍公式戦の先発で全ての打順を経験する。4番起用2試合目となった東京ヤクルトスワローズ戦(5月31日)では、2年ぶりのサヨナラ本塁打を含む自身初の1試合2本塁打を記録した[10]。7月には月間打率.395と6本塁打で自身2度目の月間MVPを受賞[11]。9月26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(西武ドーム)では日本プロ野球最年少タイ(史上4人目、23歳)で100打点を達成[注 1]。最終的に110打点を挙げ、平成生まれで初の打点王を獲得した[13]。オフの11月に台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[14]

2014年から守備位置を二塁に移す[15]中村剛也が故障により出遅れ、開幕当初は4番を務めた[16]。5月21日の読売ジャイアンツ戦で村田修一のフライを追いかけ、右翼手木村文紀と交錯。数日後に左足に痛みを覚えるもノーステップ打法に切り替え出場を続け、6月3日時点でチームトップの8本塁打、32打点を記録していたが[17]、6月5日に登録を抹消された[18]。7月15日の北海道日本ハムファイターズ戦にて復帰を果たすも[19]、前年の約半分の14本塁打、55打点に終わった。シーズンオフの11月4日には左肩のクリーニング手術を受けた[20]

2015年は開幕から3番打者として出場。前半戦打率3割維持も後半戦に入り調子を落とし、結果は打率.270、本塁打は前年以下の13本塁打でシーズン終了。9月10日に第1回WBSCプレミア12の日本代表候補に選出された[21]。契約更改で2200万円アップの1億円(推定)プラス出来高でサインした[22]

2016年のシーズン序盤は31打席無安打など、打率が1割台と打撃不振に陥ったが、5月から調子を上げた。オールスターゲーム第2戦で記録した本塁打がオールスターゲーム通算400号となった[23]。8月はパ・リーグ1位の38安打を記録し、2013年8月以来3回目の月間MVPを受賞[24]。最終的に「打率.309(リーグ3位)、24本塁打(リーグ6位)」の成績を残して、二塁手としては自身初めてのベストナインを受賞した。オフに背番号を中島宏之の退団以来空き番となっていた3に変更した[25]。11月24日、スポンサー向けのパーティーの席上で、2017年シーズンのキャプテンに指名される[26]

2017年5月20日のソフトバンク戦で中田賢一から通算100本塁打[27]、9月28日のソフトバンク戦で寺原隼人から左前に適時打を打ち、通算1000安打を達成[28]。平成生まれの1000安打到達者第1号となった[28]。契約更改で5500万円増の推定年俸2億1000万円でサインし、球団からは複数年契約を提示されたが「甘えを持ってやりたくない」と1年契約を選んだ[29]

2018年10月3日の日本ハム戦で逆転の31号2点本塁打を打ち、シーズン打点を124に伸ばしてリーグ単独トップとなり、2001年アレックス・カブレラ、2015年の中村剛也と並ぶ球団タイ記録となった[30]。10月4日の千葉ロッテマリーンズ戦で有吉優樹から適時二塁打を打ち、球団新記録となるシーズン125打点を記録[31]。全143試合に出場して、打率.310 32本塁打 127打点という成績で安打・本塁打・打点はキャリアハイを記録し、球団に所属する日本人選手で初めて「3割・30本塁打・100打点」達成者となった[32]。オフの11月5日、国内フリーエージェント権行使を球団に通知した[33]。所属先である西武の他にソフトバンク、東北楽天ゴールデンイーグルスオリックス・バファローズが獲得意思を示した。
楽天時代

2018年11月21日、楽天への入団が発表された。背番号は西武時代に引き続き3[34]。4年総額20億円(推定)で、楽天史上最高額の大型契約を結んだ[35]

2019年4月17日の埼玉西武ライオンズ戦で通算150本塁打を達成。最終的には球団で唯一となる全試合に出場し、キャリアハイである33本塁打を記録したが、キャリアワーストを大きく更新する162三振を記録した。クライマックスシリーズでは史上初の3試合連続本塁打を含む計4本塁打で新記録を達成した。オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12日本代表に選出された。

2020年新型コロナウイルスの影響で120試合制となる。6月27日の日本ハム戦の5回に楽天は一挙10得点の猛攻を見せ、浅村は1度目の打席で3点本塁打、2度目の打席で2点二塁打を打ち、球団新記録の1イニング5打点を記録した。さらに8回にも2点二塁打を打ち、球団タイ記録となる1試合7打点を記録した[36]。浅村の7打点は2017年5月12日のオリックス戦以来2度目[注 2]。9月22日のロッテ戦では自身初の1試合3本塁打、再び球団記録タイの1試合7打点を記録。楽天での1試合3本塁打は2017年にジャフェット・アマダーが記録して以来となった。中田翔とのデッドヒートを繰り返しながら最終的には打率.280、32本塁打、104打点を記録し、自身初の本塁打王を獲得した[38]。球団では2007年の山ア武司以来13年ぶりの快挙となった[38]

2021年、6月10日の中日ドラゴンズ戦で通算1500安打を達成した。平成生まれでの1500安打は史上初の快挙となった[39]。30歳6か月での1500安打達成は藤田平大村直之と共に並ぶ歴代10位タイの年少記録となった。ただ、本塁打王を獲得した前年からは一転して長打の少なさに悩まされ、打率と出塁率は依然として高かったことから西武時代の2016年以来となる2番打者で起用されることもあった[40]


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