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浅尾 長慶(あさお ながよし、安政6年3月14日(1859年4月16日) - 大正15年(1926年)7月17日)は、衆議院議員、山梨県の名望家。
山梨英和女学校の設立者の1人[1]。甲府教会の教会員[1]。
目次
1 経歴
2 親族
3 脚注
4 参考文献
経歴)に父「長右衛門(長栄)」、母「世以」の長男として生まれる。明治11年(1878年)に同志とともに甲府緑町に英学義塾を開設[2]し英学の普及を図った。明治15年(1882年)には野口英夫
明治14年(1889年)6月1日 山梨英和女学校に開校させた[1]。
親族
六男: 浅尾新甫(日本郵船社長、妻の広江は樋口秀雄の長女)
孫:浅尾新一郎(外交官、国際交流基金理事長)
曾孫:浅尾慶一郎(衆議院議員、みんなの党第二代代表)
脚注^ a b c 日本基督教団甲府教会百年史. 日本基督教団甲府教会. (1979年4月22日). pp. 54-59.
^ 浅尾長慶と内藤宇兵衛により進められ、長慶の叔父である浅尾長一の経営する甲府緑町42番地の山田穀店の二階を教場として開設された。また、山梨県下で初めての外人教師であるイビーによる英語教育が行われた。『山梨県教育百年史 明治編』(付)山梨の洋学
参考文献
『山梨百科事典 創刊120周年記念版』山梨日日新聞社編 平成4年刊
『転形期の人々』潮流者編集部 昭和41年刊
『日本基督教団甲府教会百年史』日本基督教団甲府教会、1979年4月22日
更新日時:2019年1月15日(火)02:12
取得日時:2019/09/15 06:28