浅井 良二(あさい りょうじ、1935年4月28日 - 2018年10月9日[注 1])は、日本の芸能マネージャー・芸能事務所経営者。浅井企画の創業者であり、代表取締役社長を務めた。本名は、二瓶 満(にへい みつる)[注 2]。福島県出身[5]。
コント55号の初代マネージャーであり[3]、関根勤らを見出した[3]。 俳優志望で[5]、松竹ニューフェイスとして芸能界入りした[8]が、その後は芸能マネージャーとなる。中川プロダクションで三木のり平や八波むと志のマネージャーを務めたのち[9]、1968年9月に浅井企画を設立[注 3]。中川プロダクション時代に一緒だった坂上二郎を萩本欽一と共に迎え入れ、コント55号としてマネジメントを手掛ける[8]。代表取締役社長を務める一方、数々のお笑いタレントなどを輩出させた。 2018年10月9日、悪性リンパ腫による多臓器不全で死去、83歳没[注 4]。 「1か月前に誕生日プレゼントを届ける」「全員が集合しきっていない状態で集合写真を撮るため、みんな目が半開きの写真」などのエピソードがあるほど、せっかちな性格や[10]、私服が派手だったことでも知られ[11]、それは自分の事務所の所属タレントの小堺一機、関根勤によるラジオ番組『コサキン』シリーズ(TBSラジオ)でよくネタにされたこともあった[12]。また、コサキンの番組とそのリスナーからは『ぺんてるちゃん』とも呼ばれ[13]、他に『一人リオのカーニバル』『五反田のフェラーリ』(せっかちだから)などと呼ばれるなど親しまれていた[14]。1987年12月23日には、当時の『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』の企画で、TBSホールにて浅井をテーマにしたアート、芸術作品を展示した展覧会『アート浅井展』が開かれたほどだった[11]。 小堺一機は、自分がようやく売れて来たある時に楽屋に浅井が来て「調子に乗って独立したらぶっ潰すからね!」と言われたと話している(小堺はこれを「社長なりの激励の言葉だと思う」としている)[10]。 没後の2018年11月26日、グランドプリンスホテル高輪にて開かれた「お別れの会」[15]には萩本欽一、関根勤、小堺一機、モンキッキー(現:おさる)、キャイ?ン、ずん、イワイガワ、関根麻里ら浅井企画所属タレントのほか、笑福亭鶴瓶、中山秀征、爆笑問題、香取慎吾など多くの芸能人や関係者約600人が参列[16]。皆で浅井との愉快な思い出話を披露し合い、生前浅井が好んだハワイとゴルフをテーマにした祭壇を前に記念写真を撮影するなど、賑やかな別れとなった[17][18][19][20]。 ※参考…[1][2]
来歴
人物
映画
コント55号 世紀の大弱点(1968年11月2日、東宝) - 企画[21]
コント55号と水前寺清子の神様の恋人
ワン、ツー、パンチ 三百六十五歩のマーチ
コント55号 人類の大弱点(1969年8月13日、東宝) - 企画[24]
コント55号 俺は忍者の孫の孫