流線形車両
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LMS鉄道のプリンセス・コロネーション級蒸気機関車「ダッチェス・オブ・ハミルトン」[1]

流線形車両(りゅうせんけいしゃりょう、流線型車両とも)は、空気抵抗を減らすために流線デザインを採用した車両である。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1930年代から1950年代にかけて開発された車両に対してよく使われる言葉[要出典]であり、それ以降の車両でも流線形は一般的である。「ストリームライナー」という語は、流線型の乗り物のいくつかのカテゴリを指して使われ、厳密な定義は特に無い語であるが、鉄道車両では20世紀後半に一般的になるよりも前の、未来派の影響を受けたそれを指すことが多い[要出典]。

流線形車両という語は自動車に対しても用いられるが、現代の自動車設計は、空気抵抗係数(CD値)を極限まで小さくしつつ、相反する要素である揚力係数(CL値)を可能な限り抑えるため必要に応じて適度なダウンフォースを与えるなど、空力特性に留意されているため、見た目としての流線形は取り立てて強調する特徴ではなくなっている。
流線形鉄道車両.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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第二次世界大戦前

この時代は外見上の流線形外被をかぶせただけのものも多く、抵抗軽減の効果が認められないうえ整備に支障を来たし[2](イギリスのLNER A4形のように科学的に空気抵抗減少を検討したのもあるが[3])、「気流の乱れのせいで排煙が車体に絡みつく(サザン鉄道マーチャント・ネイビー級[4])」、「ゴミが上部に溜まってトンネルに入るたびに舞う(ニュージーランド国鉄Ka型(英語版))[5]」といったトラブルを引き起こすものもあった。
ヨーロッパ

ドイツで最初の高速流線形車両は、1930年に製造されプロペラ推進を取り入れた実験的な車両であるシーネンツェッペリンである。1931年6月21日、シーネンツェッペリンはベルリン - ハンブルク間の走行で、230.2 km/hの速度記録を達成した。1932年にはプロペラが撤去され、液体変速機による駆動方式となった。この方式のシーネンツェッペリンは1933年に180 km/hを達成した。SVT137 225編成、ライプツィヒ中央駅

シーネンツェッペリンの経験を受けて、電気式ディーゼルのSVT877フリーゲンダー・ハンブルガーが開発された。この列車は2両編成で定員98名、最高速度は160 km/hであった。1933年5月15日から定期運行が開始され、ベルリン - ハンブルク間の286 kmを138分間で走行し、平均速度は124.4 km/hとなった。SVT877は、高速気動車(Schnellverkehrs-Triebwagen・SVT)と総称される車両群のプロトタイプとなった。量産型のSVTは1935年に製造開始され、やはり急行運用に用いられた。試運転中、「ライプツィヒ様式」編成(Bauart Leipzig) は1936年に205 km/hを達成した。SVTによる定期運行で最速だったのはハノーファー - ハムを結ぶ平均速度132.2 km/hのものであった。この運行は1939年8月22日まで実施された。ニュルンベルク交通博物館ドイツ国鉄05形蒸気機関車

ドイツは蒸気機関車でも流線形を採用し、1934年03形の1両に流線形カバーを取り付ける改造を行い、1935年には流線形を全面的に採用した05形が製造された。高速試験機に指定された05 002は1935年7月26日に195.7 km/h、1936年5月11日には200.4 km/hの速度記録を達成した。05形はその後ベルリン - ハンブルク間の特急列車牽引に充当された。続いて流線形タンク機関車として61形と60形が製造され、流線形の専用客車を牽引、もしくは推進する形でベルリン - ドレスデン間やハンブルク - リュベック間などで運用された。1939年には01形や03形の増備車を改設計した01.10形と03.10形が流線形車体で製造されたが、第二次世界大戦の勃発により01.10形は55両、03.10形は60両で製造を中止した。このほかにも06形や19.10形といった流線形蒸気機関車が試作されたが、第二次世界大戦の影響もあって充分な成果を出さずに終わった[6]LNERA4形蒸気機関車「マラード」、蒸気機関車の世界最高速度記録を持つ

イギリスでは流線形列車の開発は1934年にグレート・ウェスタン鉄道(GWR)が比較的低速のレールカーを導入したことや、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)が流線形のA4形蒸気機関車の牽引する「シルバー・ジュビリー」の運転を開始したことに始まる。この目的で製造されたA4形蒸気機関車4468号機「マラード」は、1938年に203 km/hで走行し、蒸気機関車としての世界最高速度記録を達成した。GWRもLNERへの対抗から1935年にキング級とカースル級の各1両を流線形に改造したが、改造が応急的であったこともあり短命に終わった。同じくLENRに刺激されたロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMS)も1937年に流線形のプリンセス・コロネーション級蒸気機関車を導入している。サザン鉄道(SR)は1941年にマーチャント・ネイビー級、1945年にはウェストカントリー級(1946年以降の製造分はバトル・オブ・ブリテン級)と流線形蒸気機関車を製造したが、その流線形は空気抵抗の削減より客車用の洗浄機で洗車を行うことを目的とした特異なものであった[7]

フェッロヴィーエ・デッロ・スタート(イタリア国鉄)では3両編成のETR200を流線形電車として開発した。開発は1934年に始まり、1937年から運行された。1937年12月6日ローマ - ナポリ間の走行中、カンポレオーネとチステルナの間で201 km/hを達成した。1939年にETR212は203 km/hを出した。ボローニャからミラノまでの219 kmの距離を77分で走行し、平均速度は171 km/hに達した。


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