活きる
[Wikipedia|▼Menu]

活きる
タイトル表記
簡体字活着
?音huozhe
英題To Live
各種情報
監督張芸謀(チャン・イーモウ)
脚本余華(ユイ・ホア)・蘆葦(ルー・ウェイ)
原作余華(ユイ・ホア)『活きる』
製作邱復生(チウ・フーション)
製作総指揮葛福鴻(コウ・フォン)
曾敬超(クリストフ・ツェン)
出演者葛優(グォ・ヨウ)
鞏俐(コン・リー)
音楽趙季平(チャオ・チーピン)
撮影呂楽(リュイ・ユエ)
編集杜媛(ドゥ・ユアン)
美術曹久平(ツァオ・ジュウピン)
製作会社上海電影集団公司
配給 角川書店 = ドラゴン・フィルム
公開 1994年5月18日
1994年6月20日
2002年3月23日
上映時間122分
製作国 中国
言語北京官話
テンプレートを表示

『活きる』(いきる、 原題:活着)は、1993年に余華(ユイ・ホア)が発表した同名小説を原作とした1994年公開の中国映画。監督は張芸謀(チャン・イーモウ)。
概要

主演は三枚目の大スター葛優(グォ・ヨウ)で、本作が代表作となった。青年時代から老年時代までを妻役の鞏俐(コン・リー)と共に演じた。

1940年代(国共内戦及び三反五反運動)、1950年代(大躍進)、1960年代(文化大革命)の大きく三つの時代をそれぞれの政治的な出来事を背景に丁寧に描いている。その半面、小説の内容がかなり変更され、登場人物が多数生き残ることとなる。一つの家族が中国の庶民として翻弄されながら生き抜いていく姿を写すことにより、世相を追体験でき、単純な共産主義批判の映画となることを免れている。

第47回カンヌ国際映画祭において審査員特別賞および主演男優賞(葛優)を受賞した。また1994年のBAFTA賞非英語部門最優秀映画賞を得ている。ただし政治的理由により本国では放映が禁止された。
ストーリー

1940年代:賭博に明け暮れる福貴(フークイ)は、両親や妻の家珍(チアチェン)の制止も聞かず、ついには妻には去られ、同時に家屋敷も失ってしまった。賭博の相手の龍二(ロンアル)が家屋敷を接収にやってきたため、それを知った父親は怒りのあまり悶死し、母はショックで病身となる。賭博をやめ、母親の持っていた装身具で食いつないでいた福貴と母親だが、賭博をやめたのを知った家珍が娘の鳳霞(フォンシア)と実家に去っていた間に生まれていた息子の有慶(ヨウチン)を連れて帰ってきた。福貴は真面目に働こうと、店でも出すための金を借りに当の相手の龍二に会いに元の自分の家に行く。龍二は福貴に金を貸すのを渋り、代わりに趣味であった歌を生かせばいいと、影絵芝居の道具を貸し与える。福貴はかつて龍二のものであった一座と共に巡業に出た。ある日、芝居をしていると、突然国民党軍隊がやって来て、彼らを徴用してしまう。福貴は相棒の春生(チュンション)と大砲を引く日々となってしまった。心配で家族の元に帰りたい福貴だが、2人の面倒を見てくれる同郷の老兵・全(老全(ラオチュエン))に「脱走すると撃たれる」と諭されて断念する。ある野営地で、大勢の負傷兵が見捨てられ、寒さで死を待つばかりになっているのを見て恐ろしくなるものの、生への渇望がわいてくる。翌朝になると動ける国民党軍の兵隊は全て逃げてしまっており、大量の負傷兵の死体と物資だけが残された。老全は共産党軍の狙撃に倒れ福貴と春生も捕まるが、得意の影絵芝居で兵隊達を慰問し、昼は大砲を引っ張り生き延びる。人民解放軍から感謝状をもらい、晴れて故郷に帰ることができた福貴は、貧しい中でお湯を配るつらい仕事に耐えている家族の姿を見る。再会を喜ぶ家族だが、母は貧乏の中で死んでしまっており、娘は九死に一生を得た高熱のために言葉を失ってしまっていた。かつて賭博で福貴の家屋敷を巻き上げた龍二が反動地主として人民裁判にかけられた。有罪となって引っ立てられていく龍二の姿に恐ろしくなり、彼を弾劾する群集から離れた福貴の耳に銃声が聞こえる。慌てて家に帰った福貴は家珍と「もしも家屋敷を失っていなければ、ああなっていたのは自分達だ」と胸を撫で下ろす。

1950年代:大躍進政策の名の下、鉄鋼生産量を上げるために、中国人民は家庭の鉄を提出し、粗鋼を町内単位で生産している。煮炊きなどができなくなる分は人民食堂で町内の人民が共に取る。娘の鳳霞は口が利けないこともあり、近所のいたずらっ子たちにいじめられていた。弟の有慶はそれを知りいたずらっ子たちに立ち向かっていくが、多勢に無勢。有慶は人民食堂で辛い汁の入った麺のお椀をいたずらっ子の一人に頭からかけて復讐する。福貴は息子を叱るが、有慶は憮然として反省しない。家珍に息子は姉を守ったのだと真相を知らされた福貴は有慶に謝るが、息子はむくれてしまう。夜に影絵芝居をやるから見に来てくれるように家珍に頼む福貴。そこで家珍は福貴にいたずらとして酢とチリ・ソース入りのお茶を差し入れに持っていくように有慶に提案する。それを飲んだ福貴は思わず噴き出し、親子は和解する。翌日、新任の区長が運転する車が誤って学校の壁を崩してしまい、有慶がその下敷きになって死んでしまう。その区長とはかつての福貴の相棒・春生であった。春生は福貴夫婦に何とか償いをしようとするが、家珍は受け付けなかった。春生はなす術なく去る。

1960年代:文化大革命が始まっていた。町長が影絵人形は燃やさなければ疑われると言いに来たため、やむなく焼却処分にする福貴。同時に町長は鳳霞に縁談を持ってきた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef