洲本都市圏
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淡路島
◎淡路市◎洲本市南あわじ市家島諸島明石市神戸市和歌山市鳴門市▲妙見山▲先山▲諭鶴羽山沼島播磨灘大阪湾紀伊水道明石海峡鳴門海峡紀淡海峡
ランドサット7号 (Landsat 7)
所在地 日本
所在海域瀬戸内海
座標北緯34度09分 - 34度36分
東経134度39分 - 135度01分
面積592.55[1] km²
海岸線長203 km
最高標高608[2] m
最高峰諭鶴羽山
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プロジェクト 地形
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淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置する島嶼。瀬戸内海では最大面積の島で、人口は離島の中では最も多い約13万人[3]令制国淡路国の主要国域を占める。近畿地方兵庫県に属し、現在は北から淡路市洲本市南あわじ市の3市で区分される。また、南あわじ市に属する沼島と共に過疎地指定地域が存在しない数少ない離島でもある。台風銀座でもあり第2室戸台風をはじめ、多くの台風が淡路島を通過している。
目次

1 概要

2 気候

3 地理

3.1 地形と植生

3.2 海峡


4 歴史

5 行政

6 地域

6.1 「10% 都市圏(通勤圏)」


7 文化

7.1 伝統芸能

7.2 民俗信仰

7.3 スポーツイベント


8 災害

9 経済

9.1 製造業

9.2 地場産業

9.3 農業

9.4 水産業

9.5 観光業

9.6 主な金融機関


10 教育

10.1 大学院

10.2 大学

10.3 専修学校

10.4 高等学校

10.5 特別支援学校

10.6 公立小学校


11 外部との交通

11.1 鉄道

11.2 道路

11.3 航路


12 出身人物

12.1 淡路市

12.2 洲本市

12.3 南あわじ市

12.4 ゆかりの人物


13 舞台となった作品

13.1 小説

13.2 映画

13.3 ゲーム


14 脚注

15 関連項目

16 外部リンク

概要

北東から南西へかけて細長く伸びる淡路島は南北約53km、東西約22km、周囲約203kmで、北部では幅5kmから8kmと細く南部で幅が広がっている[4]シンガポール島とほぼ同じ面積を有し、日本国内では主要4島、択捉島国後島沖縄本島佐渡島奄美大島対馬についで第11位の面積を持ち[5]、人口では主要4島以外では沖縄本島に次いで第2位(約13万人)である。大阪湾播磨灘紀伊水道に四周を囲まれ、北端の松帆崎明石海峡に、南東端の生石鼻紀淡海峡に、南西端の門崎(とさき)で鳴門海峡にのぞみ、本州四国連絡道路の神戸・鳴門ルートで本州四国と繋がっている。

北部と南部の淡路山地と中南部の淡路平野に分けられ、北東部と南部の山地急斜面は海岸まで迫る。また周囲の主な属島には紀淡海峡の成ヶ島、紀伊水道の沼島がある。
気候

全島が瀬戸内海式気候(年間平均気温約16℃、年間降水量約1300mm)の区分に属するが、諭鶴羽山地以南では南海型太平洋側気候の特徴も少し混じる。このため多くの農業用ため池があり、兵庫県内にある43,000のため池の半数を超える23,000が島内にある[6][7]。近代以降もダム建設が行われてきたが、1999年平成11年)12月に明石海峡大橋に架設された口径450mmの2条の水道管による本土導水が開始された[8]
地理 淡路島の地形図
地形と植生

以下の分類は『土地分類図(地形分類図)経済企画庁総合開発局 昭和49年(1974年)発行』による[9]
淡路山地
淡路島北部と南部に分かれる地塁山地砂岩礫岩頁岩で形成される。諭鶴羽山柏原山先山の3峰は「淡路三山」と呼ばれる。森林面積は島の総面積の51.7%を占め、北淡山地と諭鶴羽山地にスギヒノキの人工林があるがその比率は8.6%にすぎず、ウバメガシシイヤマモモなどの照葉樹林が広がる[7]。また諭鶴羽山には県内一のアカガシ極相林が見られる。
津名山地
島の北部、明石海峡から淡路平野までの山地。多くの活断層撓曲が見られ南部より北部のほうが起伏が大きい。白亜紀花崗岩の上に大阪層群が覆う[4]。平地が少ないため中部東側の海岸には淡路市の市街地が南北に伸び、埋立地が造成され、西側海岸には棚田が見られる。
北淡山地
標高522m の妙見山を主峰とする津名山地北部。北東の六甲山へ伸びて六甲・淡路断層帯を形成している。
千山山地
標高448mの先山(淡路富士)を主峰とする起伏の小さな津名山地南部。東側に先山断層が通る。
津名丘陵
千山山地の西側、播磨灘に面した丘陵。志筑断層で北淡山地と分けられる。 諭鶴羽山地
諭鶴羽山地
島の中南部、淡路平野から紀伊水道までの起伏の大きな山地。白亜紀の花崗岩の上に和泉層群が覆う。東部に標高569mの柏原山、中部に標高525mの兜布丸山(かぶとやま)、西部に標高608mで淡路島最高峰の諭鶴羽山がある。兜布丸山は洲本川の、諭鶴羽山は三原川の水源である。諭鶴羽山地の南側は中央構造線の断層崖のため急斜面になっていて[4]、みかん・ビワが栽培されるほか、水仙の自生地がある。
西淡山地
三原平野の西部、鳴門海峡との間にある海抜200m級の山地。標高265mの南辺山など[4]
淡路平野
島の中南部、大阪湾へ注ぐ洲本川河口から播磨灘へ注ぐ三原川河口へかけて島を南北に分かつ沖積平野[4]
洲本平野
洲本川が流れ、河口洲に洲本市の人口密集地が広がる。
三原平野
三原川が流れ、水稲タマネギレタスなど路地野菜の栽培地が広がる。
諭鶴羽北麓台地
三原平野南部から諭鶴羽山地北部へかけての砂礫質の台地。
吹上低地
吹上浜で紀伊水道、鳴門海峡にのぞむ。 明石海峡大橋 鳴門の渦潮
海峡
明石海峡
北端の松帆崎と、本州の兵庫県明石市の間にある海峡。峡間は3.6km。潮流が早く、古くから海の難所である。全長3,911mの世界最長の吊り橋明石海峡大橋」が架けられているほか、高速船「淡路ジェノバライン」が運航されている。
紀淡海峡(友ヶ島水道)
南東端の生石鼻と、本州の和歌山県和歌山市の間にある海峡。峡間は約11km。海峡内に4つの島があり、最も広い淡路島 - 友ヶ島間でも4.7kmである。航路などはない。費用対効果の面から今後も往来実現の可能性は低い。
鳴門海峡
南西端の門崎と、四国の徳島県大毛島北東部の孫崎の間にある海峡。峡間は約1.4km。激しい潮流のため海の難所である。全長1,629mの吊り橋「大鳴門橋」が架けられている。架橋にともない航路は廃止された。名勝に指定されている鳴門[10]では、瀬戸内海と外海(太平洋側)の潮位差により起こる「鳴門の渦潮」が著名。淡路島からは観潮船「 ⇒うずしおクルーズ咸臨丸・日本丸」が毎日運航されていて、間近で渦潮を体感することができる。なお、大鳴門橋には渦潮見物のための遊歩道「渦の道」が併設されているが、入口が四国側のみであるため淡路島側からは利用できない。
歴史

記紀の日本列島の国産みの神話では、淡路島は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島中、最初に創造した島であるという。『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では、淡路洲と書かれる。海人族とされる阿曇浜子によって水軍が形成され、初期の天皇家との繋がりは深いらしく、淡路宮や淡路からの皇后の記載も見られる。また反正天皇は淡路島で生まれたとされる。

古代から平安時代まで御食国(みけつくに)として皇室朝廷(にえ)を貢いだとされる。『延喜式』によると、淡路国は旬料・節料として「雑魚」を贄として納めることが記載されている。

江戸時代になり幕府は大阪の陣で活躍した蜂須賀正勝(子六)に淡路国ならびに阿波国を加増することを伝えたが固辞。息子の蜂須賀家政が阿波に封ぜられる。また正勝と義兄弟の契りを結んだ稲田植元を客将として招き淡路国と阿波国北部を知行地として任せた。しかし蜂須賀氏は幕藩体制下で次第に稲田氏を家臣として扱うようになり軋轢が生じるようになる。明治維新では新政府側に協力したにも関わらず卒族とされたために淡路を阿波藩から分藩独立することを画策。それに動きに対し庚午事変(稲田騒動)で蜂須賀氏側が一方的に稲田氏側を殺害したことより確執は決定的なものとなった。それが遠因となり1876年に淡路は兵庫県に編入された。以来、近畿地方の一角として発展している。
行政


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