洪準杓
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韓国政治家洪準杓???
2017年
生年月日 (1953-11-20) 1953年11月20日(70歳)
出生地 韓国 慶尚南道昌寧郡
出身校高麗大学校
前職検察官
所属政党国民の力
サイン
大邱広域市長
当選回数1回
在任期間2022年7月1日 - 現職
慶尚南道知事
当選回数2回
在任期間2012年12月20日 - 2017年4月9日
国会議員
選挙区(ソウル市松坡区甲選挙区→)
(ソウル市東大門区乙選挙区→)
大邱市寿城区乙選挙区
当選回数5回
在任期間1996年5月30日 - 2012年5月29日
2020年5月30日 - 2022年4月29日
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洪準杓
各種表記
ハングル:???
漢字:洪準杓
発音:ホン・ジュンピョ
日本語読み:こう じゅんひょう
ローマ字:Hong Joonpyo
RR式:Hong Junpyo
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洪 準杓(ホン・ジュンピョ/こう じゅんひょう、???、1953年11月20日[1]または1954年12月5日[2][3] - )は、韓国の政治家、元検察官。第15・16・17・18・21代国会議員本貫南陽洪氏[2]プロテスタント信者[4]

保守政党・ハンナラ党の代表(2011年7月 - 12月)や慶尚南道知事(2012年12月20日 - 2017年4月9日)[5]を務めた後、2017年5月の大統領選挙自由韓国党の候補として出馬したが、革新政党共に民主党の候補文在寅に敗した。その後、自由韓国党の代表(2017年7月3日 - 2018年6月14日)を務めたが、2018年6月の統一地方選挙の惨敗で引責辞任した。2022年6月の第8回全国同時地方選挙大邱市長に当選したことにより、1995年の首長民選制が導入された以降、異なる2つの広域自治体の首長に当選した初の人物となった[6]
来歴

貧しい造船所労働者の家に生まれた。大邱の嶺南高校を経て高麗大学校法学部行政学科を卒業[7]。元の名前は洪判杓(ホン・パンピョ、???)であったが、1985年ごろに検事として清州地検に赴任した時に親しかった清州地方法院院長に「判事でもないのに中間名は『判』になるのが合わない」と言われたため(または同法院判事で後に政治家となった李柱栄(朝鮮語版)の勧めで)、現在の名前に改名した[8][9]

1993年にソウル地検の検察官となり、「スロットマシン事件」の捜査に当たり、テレビドラマのモデルとなって「砂時計検事」というあだ名をつけられた[7]。1996年に金泳三に請われて国会議員として政界入りし、金大中政権や盧武鉉政権下で保守野党・ハンナラ党の議員として革新政権を追及した。2007年に保守派の李明博大統領となったが、法務部長官を希望していた洪は、李大統領からの環境部長官就任の打診を拒否した[7]

2011年7月にハンナラ党代表に就任したが、ソウル市長補欠選の敗北や中央選挙管理委員会DDoS攻撃問題などで早期辞任に追い込まれた[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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