「津軽海峡・冬景色」
石川さゆり の シングル
初出アルバム『365日恋模様』
A面津軽海峡・冬景色
B面野の花のように
リリース1977年1月1日
1991年7月1日(再発)
1994年5月20日(再発)
2005年12月7日(再発)
規格シングルレコード
8cmシングル
マキシシングル
ジャンル演歌・歌謡曲
時間3分43秒
レーベル日本コロムビア
作詞阿久悠
作曲三木たかし
ゴールドディスク
第19回日本レコード大賞・歌唱賞
'77FNS歌謡祭・グランプリ、最優秀歌唱賞
第10回日本作詩大賞・大衆賞
チャート最高順位
週間6位(オリコン)
1977年度年間16位(オリコン)
1978年度年間64位(オリコン)
石川さゆり シングル 年表
花供養
「津軽海峡・冬景色」(つがるかいきょう・ふゆげしき)は、1977年1月1日に発売された石川さゆりの15枚目のシングルである。
当曲の大ヒットにより、石川は同年末の第19回日本レコード大賞歌唱賞、'77FNS歌謡祭グランプリ・最優秀歌唱賞などの音楽賞を獲得した。石川がアイドル歌手から本格的演歌歌手へと変貌した曲であり、その後も演歌を代表する楽曲として世代を問わず親しまれている。 元々1976年11月に発売された石川のコンセプトアルバム『365日恋もよう
解説
この曲は当時、東京都にとって北日本(北陸地方を含む)への玄関口であった上野駅から夜行列車に乗り、雪が降る青森県・青森駅で降りて、黙ったままボーディング・ブリッジを渡って本州から津軽海峡を隔てた北海道・函館駅に向かう青函連絡船へと乗り継いで行く人々の描写がある。すなわち、北海道に縁がある人々の移動を表現したものである。歌詞には青森県の風景が織り込まれているが、青森県民の日常的行為ではない。
発売当時、首都圏と北海道との間の交通手段は(旅客機やフェリーの他に)、青函連絡船を介した日本国有鉄道の列車があった。この頃は東北本線経由の「はくつる」「八甲田」、常磐線経由「ゆうづる」「十和田」などの夜行列車があり、青函連絡船への接続を前提に多数運転されていた。歌詞は竜飛崎の回想までで、青函連絡船上の津軽海峡で北海道に帰る女性の心情を吐露させて終わる。
この曲は三木が作曲だけでなく、編曲も手掛けている。「イメージの中の“荒波”がどこかにあったので、イントロから作りだした」と、NHKスペシャル「三木たかし?時代を彩った作曲家?」(2009年放送)で語っている。イントロのテナーサックス演奏は佐野正明[2]。
歌のタイトルの「津軽海峡」の後に中黒(・)を入れた理由を阿久自身は覚えておらず、後には「津軽海峡冬景色」という一つの象徴語なので、中黒は不要だと考えるようになったという[3][注釈 1]。
青函連絡船・八甲田丸
雪の青森駅(2005年12月)
高度経済成長期の1960年代以降、東京都と札幌市との間の移動は、従前の国鉄列車と青函連絡船の乗り継ぎから、飛行機の時代に次第に移行していく。