津軽海峡フェリー株式会社
TSUGARUKAIKYO FERRY種類株式会社
本社所在地 日本
〒041-0821
北海道函館市港町3-19-2
津軽海峡フェリー函館事務所棟
設立1972年2月23日[1]
業種海運業
法人番号7440001001368
津軽海峡フェリー株式会社(つがるかいきょうフェリー)は、北海道函館市に本社を置く日本の海運会社。 天塩町で創業し函館で木材や石炭輸送を行っていた「吉野谷海運」を経営する吉野谷義徳が中心となり、吉野谷と戦前に樺太航路で競合し交友のあった蔦井與三吉が経営する東日本フェリーと吉野谷の共同出資で、東日本フェリーの内航船事業の近代化や吉野谷海運の貨物船「歓栄丸」の更新、トラック航送事業への体質改善を目的として1972年に東日本フェリーグループの「道南自動車フェリー」として創立[3]。2000年10月の海上運送法の改正により一般旅客定期航路の許可を得て旅客航路事業も開始した。 2008年に東日本フェリーの事業不振に伴うグループ内の事業再編に伴い、同社が最後まで運航していた3航路の譲渡が検討された。しかし、道南自動車フェリーが従来から運航する函館 - 青森航路以外の2航路(函館 - 大間航路、青森 - 室蘭航路)については航路の維持にあたり、採算性の点から地元自治体の支援措置を待つ形となった。 2008年9月8日、燃料費の高騰や利用者の伸び悩みにより同年11月末で北海道と青森を結ぶ航路から撤退する東日本フェリーの函館 - 青森航路と、2隻の船舶(びなす・びるご)を継承する計画を発表するとともに、道南自動車フェリーは東日本フェリーの親会社であるリベラホールディングスの傘下に入った。また、同じく撤退航路のうち採算性の問題などから地元自治体の支援措置が模索されていた函館 - 大間航路については同年10月14日、2009年1月から青森県と大間町が支援し1年間の暫定運航とすることで青森県と大間町、東日本フェリー、道南自動車フェリーの4者が合意したことが発表されている。10月17日、同年12月以降の運航については、函館 - 青森航路の増便(継承前の2倍にあたる1日16便)と運賃改定を、函館 - 大間航路は改めて航路の新規開設を行うことが発表された。なお、同じく東日本フェリーが撤退する青森 - 室蘭航路は地元自治体の支援が得られず廃止が表明された。 2008年12月1日、従来から運航していた函館 - 青森航路と函館 - 大間航路の運営を東日本フェリーより継承。2009年3月1日には、運航する2航路に「津軽海峡フェリー」の愛称を導入。2009年11月1日、船舶貸渡業「東日本フェリー」と船舶管理業「東日本シップマネージメント」の2社を吸収合併し、同時に社名を案内名称と同じ「津軽海峡フェリー」に変更した[4]。 なお、イルカのロゴマークは、東日本フェリー時代のものをそのまま引き継いでいる。 ※航路承継前の歴史については、東日本フェリー#沿革も参照。
概要
沿革
1972年(昭和47年)
2月23日 - 道南自動車フェリー株式会社として設立。
4月27日 - 函館 - 青森間航路免許取得[5]。
8月24日 - 函館 - 青森航路開業[5]。「恵山丸」を用い函館と青森を結ぶ貨物フェリー航路を運航する[6]。
1979年(昭和54年)-「第三恵山丸」が就航[7]。
1985年(昭和60年)-「第五恵山丸」が就航[8]。
1988年(昭和63年)-「えさん」が就航[9]。
2000年(平成12年)10月 -「えさん2000」が就航。旅客航路事業に参入し、旅客輸送を開始する。
2008年(平成20年)
11月20日 - 東日本フェリーから引き継ぐ函館 - 青森・函館 - 大間航路の運航が認可される[10]。
12月1日 - 東日本フェリーが運航していた函館 - 青森航路を譲受し、函館 - 大間航路を開設。同社から「びなす」「びるご」「ばあゆ」を譲受し就航する。
2009年(平成21年)
3月1日 - 運航する航路の通称として「津軽海峡フェリー」の名称を使用する。
11月1日 - 東日本フェリーおよび東日本シップマネージメントを吸収合併。社名を津軽海峡フェリー株式会社に変更する[4]。
2010年(平成22年)7月17日 -「ブルードルフィン」が就航。
2013年(平成25年)
4月12日 - 大間港新フェリーターミナルが竣工。
4月18日 - 「大函丸」が就航する。
2014年(平成26年)