津田塾大学
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津田塾大学
小平キャンパス(2006年5月)
大学設置1948年
創立1900年
学校種別私立
設置者学校法人津田塾大学
本部所在地東京都小平市津田町二丁目1-1
学生数3,249
キャンパス小平(東京都小平市)
千駄ヶ谷(東京都渋谷区
学部学芸学部
総合政策学部
研究科文学研究科
国際関係学研究科
理学研究科
ウェブサイトhttps://www.tsuda.ac.jp/
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千駄ヶ谷キャンパス

津田塾大学(つだじゅくだいがく、英語: Tsuda University)は、東京都小平市津田町二丁目1番1号に本部を置く日本私立大学女子大学である。1900年創立、1948年大学設置。
概要
大学全体

津田梅子が設立した女子英学塾を前身とする[1]。英文学や国際関係学の分野で活躍する卒業生を多く輩出し、女性の社会進出に貢献した大学である[1][2]
偏差値

かつては「早慶を蹴ってでも入るトップの名門私学[3]」とされ、女子大最難関校として「女の東大」と呼ばれる異名をとっていた[3][1][4]

現在でも「私立女子大の最高峰」とされるが、日本における女子大学全体の人気が低下している影響で本学も以前より低迷しており、現在は「入試難易度としては最難関大学とは言い難い」とされる。

ベネッセコーポレーションのデータによると、津田塾大学の入学難易度は「74(1992年当時)→ 65(2017年)」と25年間の間に9ポイント低下したとされ、「日本の歴史上、最も急速に偏差値が降下した大学」と称されるほどの偏差値が急激に低下した[5]

これらの偏差値低下に関して、2000年代初頭より受験生の共学志向が高まり、女子大に魅力を感じなくなったことが主な要因とされる[5]
学風および特色

女子差別撤廃条約批准や男女雇用機会均等法の設立時、津田塾大学卒業生の活躍がめざましく、一流大企業の重役、官公庁の女性職員の出身校が一貫して津田塾大学であった [6][7][8]

卒業生らは「津田マフィア」という言葉で呼ばれていた [6][7][8]

津田梅子の教育方針に沿って、現在も少人数教育を重視している[1][9]
学生の主体性を重んじて校歌校章校旗を敢えて持たないのも津田梅子以来の津田塾の伝統である[1]
キリスト教主義

独立系キリスト教会洗礼を受けたのち、聖公会の信徒であった津田の影響から[10][11]、学内にチャペルがある。学則に「キリスト教精神に基づく教育」を行うことが記載されている。礼拝が毎週行われ、キリスト教関連の科目が開講されるなどの宗教色が強いキリスト教主義学校であるが、参加は学生の意思に任されている。
歴史

1900年(明治33年)、従来の家制度による家政学が中心だった官制の良妻賢母育成女子高等教育制度に疑問を抱いた津田梅子が、瓜生繁子大山捨松とともに、日本では先駆的な学問重視の女子高等教育機関[12]私学、女子英学塾として現在の東京都千代田区に設立[13]

1902年(明治35年)、聖公会ミッションスクールである静修女学校の閉鎖にともない、土地と校舎と生徒を梅子の盟友・石井筆子から譲り受ける[14]

1905年(明治38年)、女子の学校では初めての英語科教員無試験検定取り扱い許可を受ける。

1933年(昭和8年)に「津田英学塾」へ、1943年(昭和18年)に「津田塾専門学校」へ改称。戦後1948年(昭和23年)に「津田塾大学」となった[13]

1969年(昭和44年)には、当時はまだ草分け期にあった国際関係論という分野を、日本の大学として初めて国際関係学科として創設。

2010年(平成22年)に創立110周年を迎え、創立110周年事業として津田梅子賞を創設[1]。創立者津田梅子の「女性の自立と社会貢献を促す精神」を継承発展させるために、現代社会でその精神を具体化する活動を行っている団体や個人を顕彰する[1]

2017年(平成29年)より女子大としては初の「総合政策学部」を設置[2]。また本学が複数学部体制になるのも創立以来、初である。大学の英語名称も、Tsuda CollegeからTsuda Universityとなった[15]。この学部は東京・千駄ヶ谷に設置され、長年、ワンキャンパス体制で教育を行ってきた津田塾大学は、この学部の開設により蛸足大学となる。
歴代学長

星野あい - 女子英学塾塾長、津田塾大学初代学長

粕谷よし(1952年4月 - )

藤田たき (1962年4月 - )

中島文雄(1973年11月 - )

大束百合子(1980年11月 - )

天満美智子(1988年11月 - )

志村尚子(1996年11月 - )

飯野正子(2004年11月 - )

國枝マリ(2012年11月 - )

橋裕子 - 現学長(2016年4月 - )。国際女性史連盟(IFRWH)会長、日本学術会議会員


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