津田健次郎
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つだ けんじろう
津田 健次郎
2018年 東京ゲームショウにて
プロフィール
本名津田 健次郎[1]
愛称ツダケン[2]
つんちょ[2]
性別男性
出身地 日本大阪府[3][4][5]
生年月日 (1971-06-11) 1971年6月11日(52歳)
血液型O型[4]
職業声優俳優
事務所アンドステア[6]
配偶者あり
公式サイト津田健次郎 Official Website
公称サイズ(2004年時点)[1]
身長 / 体重170 cm / 53 kg

俳優活動
活動期間1995年 -
ジャンルテレビドラマ映画舞台
デビュー作『君を忘れない
声優活動
活動期間1995年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作野田敦(『H2』)[7][8][9]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

津田 健次郎(つだ けんじろう、1971年昭和46年〉6月11日[3][4][5] - )は、日本男性声優俳優ナレーター大阪府出身[3][4][5]。アンドステア所属[6]。既婚。2児の父。
経歴

父の仕事の都合で1歳から小学2年生までジャカルタで過ごした経験をもつ[10][11]。当時のジャカルタには娯楽が少なく、VHSもあまり普及していなかった[9]。そんな環境の中で、最大の娯楽は映画で、日本のヒーロー映画、ハリウッド映画に触れていた[9]。映画館へのアクセスが良く、伯父が映画の株主優待チケットを持っていたことから帰国後も映画館へ足を運び続けていた[9]

子供時代は1人で何かをするのが、好きだったという[12]。小学校入学してからは少し社会性が出たような気がしていたが、いつも1人でいたという[12]。勉強も人間関係もあまり苦労はしなかったが、違和感はあった[11]。大阪はお祭りの時期が来ると、急に友人が地元の子になり、親が自治会に入っていたり、祖父母の代から住んでいる人物が多く、津田曰くある日突然、「異邦人」になってしまうという[11]。皆がお祭りに参加している中、津田はポツンと部外者な感じだった[11]。その後明星中学校・高等学校(大阪)に進学。中高は私立の男子校に進学したため、そういう地元感はなくなったが、今度は流行りものに全然興味が持てなかった[11]。当時は空虚な感覚があり、友人が好きな作品、世の中で流行している作品がいいと思えなかった[9]。周囲に馴染めれば楽しいだろうという感覚はあり、馴染もうとして流行りものに触れはしたが、全く受け入れられなかった[9]。中学時代から雑誌で見て知った名画座に通うようになり、「将来は映画の道へ進みたい」と思っていた[9][11]。高校で生徒会長を務める[11]。ミニシアターに通い始めたところ、ジャン=リュック・ゴダールなど頭のおかしい人物がぶっ飛んだ映画を作っており、評価されていることにものすごく勇気をもらった[11]スパイク・リーヴィム・ヴェンダースも好きで[13]ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』も何も起きないが、めちゃくちゃカッコよく、「僕もそっちのほうに行きたい!」と映画監督になりたいと思っていた[11]。しかし脚本が書けず、表現したい衝動はあったが、具体的にどう表現すればいいのか分からなかった[11]。そのままのんびりしていたところ高校2年生になり、「あれ?受験しなきゃ」と気付いたという[11]明治大学文学部文学科演劇学に入学[10]、元々は映画を撮りたいと思っていた矢先に大学3年生の時に「何を映画で表現したいか、具体的なビジョンが描けない。表現したい欲求は強かったことから出演するのも面白いのかな」と魔が差し、演じるほうにも興味を持ち[12][13][14]円・演劇研究所専攻科を受けて合格し、演劇活動に熱中する[9][15]

養成所卒業後は舞台系の事務所に所属していた[14]。その際にオーディションの話があり、1995年のテレビアニメ『H2』の野田敦役で声優デビューする[9][7]。アニメ『遊☆戯☆王 デュエルモンスターズ』『テニスの王子様』でのブレイク以降は声優業を中心に舞台にも出演していた。NHK連続テレビ小説『エール』で語りを担当、本編にも出演した事をきっかけにテレビドラマ・映画の出演が増加。テレビ番組CMでのナレーションラジオパーソナリティなども務め多方面で活動している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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