津村啓介
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日本政治家津村 啓介つむら けいすけ
2010年
生年月日 (1971-10-27) 1971年10月27日(52歳)
出生地 日本 岡山県津山市
出身校オックスフォード大学経営大学院
サイード・ビジネススクール)修了
東京大学法学部卒業
前職日本銀行
所属政党(民主党菅G)→)
民進党(細野G)→)
希望の党→)
旧国民民主党→)
立憲民主党階G
称号経営学修士(オックスフォード大学)
学士(法学)(東京大学)
公式サイト津村啓介 前・衆議院議員 岡山2区
衆議院議員
選挙区(比例中国ブロック→)
岡山2区→)
比例中国ブロック
当選回数6回
在任期間2003年11月9日[1] - 2021年10月14日
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津村 啓介(つむら けいすけ、1971年10月27日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の元衆議院議員(6期)。内閣府大臣政務官鳩山由紀夫内閣菅直人内閣)、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長旧国民民主党副代表などを務めた。
来歴

岡山県津山市生まれ。大阪府愛知県で育った後、東京都へ移り住む(現住所は岡山市中区円山)[2]麻布中学校・高等学校東京大学法学部卒業。ゼミは憲法[3]。東大卒業後、日本銀行に入行。2000年よりオックスフォード大学経営大学院サイード・ビジネススクール)に留学し、翌年にMaster of Business Administrationを取得した。2001年に帰国[4]
衆議院議員

2002年民主党が実施した衆議院議員総選挙の候補者公募に応募し、合格。翌2003年第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で岡山2区から出馬。自由民主党熊代昭彦に敗れたが、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選した。

2004年6月5日参議院本会議において本岡昭次参議院副議長は散会を宣言した後、津村ら衆議院からの民主党応援部隊は倉田寛之参議院議長の議場入りを阻止しようとして、もみ合いの中で倉田議長の眼鏡を破損させるなどの被害を負わせた。のちに懲罰事犯として、公開議場における戒告という処分を受けた[5]

2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党公認で前岡山市長の萩原誠司を岡山2区で破り、再選。萩原も比例復活で当選。なお、熊代は郵政民営化法案衆議院本会議における採決で造反し、反対票を投じたため自民党の公認を得られず出馬を断念した。同年9月12日、民主党代表の岡田克也が、総選挙大敗の責任をとり辞任を表明[6]。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[7]

2006年3月31日、民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明[8]。前原の辞任に伴う代表選挙(4月7日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[9]

2007年世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの一人に選出された[10]

2009年第45回衆議院議員総選挙では、自民党の萩原に比例復活すら許さず、3選。選挙後に発足した鳩山由紀夫内閣内閣府大臣政務官に任命され、菅直人内閣まで務める。

2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、岡山2区で自民党新人の山下貴司に敗れたが、比例復活で4選。同年12月25日に行われた民主党代表選挙では海江田万里の推薦人に名を連ねた[11]

2014年第47回衆議院議員総選挙では、岡山2区で山下に再度敗れたが、比例復活で5選[12]

2016年9月15日に行われた民進党代表選挙では蓮舫の推薦人に名を連ねた[13]

2017年第48回衆議院議員総選挙では希望の党公認で出馬し、岡山2区で山下に再度敗れたが、比例復活で6選[14]

2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加した[15]。同年9月4日実施の国民民主党代表選挙に出馬するが玉木雄一郎に敗れる。9月11日より党副代表[16]

2019年10月4日、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会委員長に就任。

2020年1月20日の党両院議員総会で立憲民主党との早期合流を目指す決議案を提出したが、提出に先立ち津村がTwitterに決議案の内容を公開したことで総会が紛糾した。これを受け、決議案に署名していた原口一博国会対策委員長が自身の署名を事実上取り下げるなどし、決議案は反対多数で否決された[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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