津島 源右衛門(つしま げんえもん、1871年8月3日(明治4年6月17日[1]) - 1923年(大正12年)3月4日)は、日本の政治家、実業家[2]。衆議院議員、貴族院議員のほか、金木銀行頭取、陸奥鉄道取締役、青森県農工銀行取締役を務めた[1]。
青森県西津軽郡木造村の松木家に八代目七右衛門の子、永三郎として生まれる。のち、北津軽郡金木村の津島家に養子として入り、津島源右衛門になる。
1897年、金木銀行を設立し、その頭取となる[1]。1901年に青森県会議員に当選[1]。1912年、第11回衆議院議員総選挙で立憲政友会から立候補し当選[3]。1922年、貴族院多額納税者議員の補欠選挙で当選[3]。
政治家の津島文治、作家の太宰治(津島修治)は実子[4]。俳優の津島康一、作家の津島佑子、太田治子は孫。政治家の津島恭一、津島淳、劇作家の石原燃は曾孫。
脚注』(国立国会図書館デジタルコレクション)(東洋新報社、1917年) 1748頁
^ “新訂 政治家人名事典 明治?昭和 津島 源右衛門”. 日外アソシエーツ(コトバンク). 2018年2月14日閲覧。
^ a b “ ⇒太宰治の生涯 略年譜”. 太宰ミュージアム. 2018年2月14日閲覧。
^ 『人事興信録 第13版下』ツ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月14日閲覧。
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更新日時:2020年12月26日(土)15:08
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