つしま けいこ
津島 恵子
『アサヒグラフ』 1952年8月27日号
本名森 直子
もり なおこ
(旧姓:倉成)
生年月日 (1926-02-07) 1926年2月7日
没年月日 (2012-08-01) 2012年8月1日(86歳没)
出生地 日本・長崎県下県郡厳原町
(現:長崎県対馬市)
死没地 日本・東京都中央区
民族日本人
身長161 cm
職業女優、舞踊家
ジャンル映画、テレビドラマ
活動期間1947年 - 2002年
配偶者あり
著名な家族森岩雄(義父)[注釈 1]
主な作品
テレビドラマ
『どたんば』
『山河燃ゆ』
『牟田刑事官事件ファイル』シリーズ
『君が人生の時』
『さくら』映画
『安城家の舞踏会』
『悲しき口笛』
『お茶漬の味』
『ひめゆりの塔』
『七人の侍』
『浮草日記』
『男はつらいよ 寅次郎真実一路』
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津島 恵子(つしま けいこ、1926年2月7日 - 2012年8月1日、正字では惠子[注釈 2])は[注釈 3]、日本の女優、舞踊家[1]。本名:森(旧姓:倉成)直子。 長崎県下県郡厳原町(現:対馬市)出身。三人姉妹の二女[2][注釈 4]。4歳のころ一家で東京に転居[3][4]。自由ヶ丘学園幼稚園、トモエ学園小学校[注釈 5]、新宿區立四谷第三小学校を経て[3]、東洋音楽学校普通科卒業後[5][注釈 6]、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)本科中退。交易営団の秘書課に勤務ののち、飛騨高山に疎開し、現地で終戦を迎える。戦後は、弦巻町で自給自足の生活を開始[6]。一方、6歳、自由ヶ丘幼稚園の時から舞踊を始め[7][8]、同園および自由ヶ丘小学校にて宮操子から舞踊を学ぶ。のち、宮が四谷に研究所を設けたため、四谷第三小学校に転校して、同所に通う[注釈 7]。戦後、江口隆哉・宮夫妻主宰のノイエタンツ研究所でモダンダンスを学ぶ[9][注釈 8]。1945年には、舞踊の地方公演に参加[10]。松竹の大船撮影所で1947年より舞踊教師を務め始め[7][11][注釈 9]、同年、吉村公三郎に見出されて[1][12]、女優として映画出演を開始する。 1953年1月公開の、今井正監督の『ひめゆりの塔』にて初めて他社(東映)の映画に出演し、代表作の一つになる。 1953年3月松竹を退社してフリーとなり[13][注釈 13]、黒澤明監督の『七人の侍』などで好演[注釈 14]。1955年の『たそがれ酒場』では、踊りの振付を自身で考案する[注釈 15]。
人物・経歴
1947年、松竹作品『安城家の舞踏会』でデビュー、以降、松竹専属となる。1948年、美空ひばりの主演第一作『悲しき口笛』に出演[注釈 10]。1950年、『歸ク』に出演[注釈 11]。1951年公開の『乾杯! 若旦那』からは鶴田浩二とのコンビで人気を得る[注釈 12]。
2002年のNHK連続テレビ小説『さくら』を最後に女優業を休止[14]。2007年頃から認知症の症状が出ていたとされ[14]、2012年8月1日午前10時20分、胃がんのため東京都内の病院で死去[15]。86歳没。
ギャラリー
1949年
『サンケイグラフ』1954年10月3日号より
『サンケイグラフ』1954年10月31日号より
『七人の侍』クランクイン直前の1953年5月、東宝撮影所で打ち合わせをする黒澤明、三船敏郎、津島、志村喬。
エピソード
代表作の一つである『七人の侍』で志乃を演じたが、監督の黒澤明は「僕の書く女だから一本の線でグッと押して來るようなタイプなんだが、津島くんてお行儀のいい人だな。」と語っている[16][注釈 16]。
出演
映画『魔像』(1952年)『ひめゆりの塔』(1953年)『魅せられたる魂』(1953年)『七人の侍』(1954年)
安城家の舞踏会(1947年、松竹) - 新川曜子
われ泣きぬれて(1948年、松竹) - 石川節子