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つかやま まさね
津嘉山 正種
本名津嘉山 正種[1][2]
生年月日 (1944-02-06) 1944年2月6日(80歳)
出身地 日本・沖縄県那覇市
身長176 cm
職業俳優・声優
ジャンルテレビドラマ・映画・演劇・吹き替え・アニメ
活動期間1964年 -
配偶者成田絵智子
所属劇団劇団青年座
事務所青年座映画放送
主な作品
テレビドラマ
『踊る大捜査線』シリーズ
『救命病棟24時』
『八重の桜』
映画
『陰陽師』シリーズ
吹き替え
『フィールド・オブ・ドリームス』
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
『JFK』
『パーフェクト・ワールド』
『ボディガード』
『ヒート』
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』
テレビアニメ
『闘牌伝説アカギ ?闇に舞い降りた天才?』
『逆境無頼カイジ』
受賞
第30回紀伊國屋演劇賞個人賞
『GHETTO/ゲットー』(1995年)
第4回読売演劇大賞優秀男優賞
『シャドー・ランズ』(1996年)
第61回芸術選奨文部科学大臣賞
『黄昏』(2010年)
第15回声優アワード功労賞(2021年)
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津嘉山 正種(つかやま まさね、1944年〈昭和19年〉2月6日[2][3] - )は、日本の俳優、声優。妻はオペラ歌手の成田絵智子。身長176 cm、体重77 kg。 沖縄県那覇市出身[3]。幼少時、沖縄戦でアメリカ軍が上陸後に設置した収容所に入れられた経験を持つ[4]。沖縄県立那覇商業高等学校卒業[3]。琉球放送に勤務する傍ら、地元の劇団創造で活動し、上司の薦めで上京。1964年に劇団青年座に入団する。もともとは舞台の大道具などを作成する裏方志望だったが、劇団員募集の際に裏方を募集していなかったため、俳優として入団したという[注 1]。青年座に所属していた演出家が、偶々洋画のアテレコの演出もするようになり、「やってみるか」と声が掛かったのがきっかけで、1970年頃からは、洋画や外国テレビドラマの吹替え・アニメーションなどの声優としても活動を開始する[5]。 1980年に蜷川幸雄演出、平幹二朗主演の『NINAGAWA マクベス』に出演した。1985年の再演では準主役格のバンクォーをつとめた。1987年同作のロンドン公演では、休演の平に代わりマクベス役に選ばれて成功を収め、日本での凱旋公演でも再び主演を務めた。 1982年4月から、横内正の後任としてNHK-FMの深夜番組『クロスオーバーイレブン』でナレーターを担当。2001年3月の番組終了まで、番組最長の19年間担当した。 1988年4月、趣味である麻雀の最中にクモ膜下出血で倒れ、長期の療養とリハビリを余儀なくされたが、同年の舞台『テンペスト』で復帰。以後も青年座の中心俳優の一人として、舞台、映像で活躍する。 2005年7月1日に体調不良により、出演予定であった青年座の公演『夢・桃中軒牛右衛門の』の桃中軒牛右衛門役を降板、軽度の脳梗塞と判明した[注 2]。2005年8月15日から8月19日までNHK-FMでオンエアされた特別番組『よみがえる伝説?クロスオーバーイレブン2005』で復帰した。舞台への復帰は井上ひさし作の原爆告発劇『父と暮せば』。「語り継いでいかなければならない作品。僕は芝居でなく、語りでこの作品に挑戦し、語りを極めてみたい」と朗読劇を全国で続けている。通常の舞台も2006年5月の『殺陣師段平』から復帰している[6]。 2006年1月1日に劇団青年座演技部から座友に移籍[7]。 2009年3月23日には3度目の脳卒中発作を起こしたため、出演予定の舞台を降板した[8]。しかし、同年中にテレビドラマにて復帰を果たした。 テレビドラマ・映画ではニヒルな権力者役を多く演じており、定番である。 洋画の吹き替えでも活躍し、ケビン・コスナーをはじめ、ロバート・デ・ニーロ[5][9][10]やリーアム・ニーソン、リチャード・ギア、ガブリエル・バーンなどを持ち役としており、他にもマイケル・ダグラスやハリソン・フォード、エルヴィス・プレスリー、エド・ハリス、ブルース・リーなども複数担当。
経歴
人物