津久井教生
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つくい きょうせい
津久井 教生
プロフィール
本名津久井 教生(つくい のりお)
[1]
性別男性
出身地 日本東京都新宿区[2]
生年月日 (1961-03-27) 1961年3月27日(63歳)
血液型A型Rh+[1]
職業俳優声優音響監督司会者
事務所81プロデュース[3]
配偶者あり[4]
公式サイト ⇒KYOUSEI ISLAND
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重164 cm / 62 kg
靴のサイズ25 cm
活動
活動期間1983年 - 2022年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

津久井 教生(つくい きょうせい、1961年昭和36年〉3月27日[1][4] - )は、日本俳優声優音響監督司会者である。81プロデュースに所属[3]東京都新宿区出身[2]埼玉県川越市在住。本名は津久井 教生(つくい のりお)[1]
来歴

子供の頃、父は東京電力株式会社に勤務しており[2]、本人が言うところの「いいとこのボンボン」として生まれる。小学生時代は、大阪に住んでいた。また、海外に留学した経験がある。埼玉県立朝霞高等学校出身[5]日本大学芸術学部放送学科中退。野沢那智主宰の劇団薔薇座出身。

声優デビューした後しばらくは声優と舞台俳優の二足のわらじで活動したが、本人によると背が低いため俳優のオーディションではなかなか役がもらえず、結果的に声優の仕事の比重が大きくなっていったとのこと。プライベートでは1989年に劇団の勉強会で出会った女性と結婚し、その後一人息子にも恵まれた。

1990年頃から仕事が順調になり[2]1992年ニャンちゅう役を射止めた。1993年頃からアミューズメントメディア総合学院で声優志望者の育成にもあたっている[2]

2019年3月に突然足が動かなくなり、検査入院を経て、同年9月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と告知され[6]、同年10月2日に公表[7]。同年の年末には車椅子生活になった[2]。病気公表後からSNSを通じてALSという病気が具体的にどういうものか、自身の病状やその都度の心情などを発信し始めた[2]。健康状態の問題から一部の持ち役は降板しているものの、「声だけは無事」であるとして[7]、『ちびまる子ちゃん』は抜き録りや従来通りの順録りをするなど津久井の病状を考慮しながら続投[8]。その後、以前から発見されていた腫瘍の摘出手術を受けると同時に身体障害者手帳1種3級・要介護1との判定を受け、車椅子で生活しながら週に1度のリハビリに励んでいることを報告した[9]

2020年3月からは、YouTubeにて「津久井教生チャンネル」を開設[10]

2021年2月時点では、手がほとんど動かなくなり[注釈 1]割り箸を口で咥えてキーボードを打つような状態になっており、視線で文字をとらえ、それを文字化して意思を伝える「視線入力」のトレーニングを開始している[11]。妻や介護士に支えてもらいながらの日常生活を送り、先述のアミューズメントメディア総合学院の講師の仕事は病気により当初2020年の3月で辞めるつもりだったが、コロナ禍となってZoomによる講義が可能になったことで、2021年8月現在も何とか続けているとのこと[2]2022年11月18日にニャンちゅう役を降板することを発表[12]

2023年2月、昨年12月5日に「意識不明となり、呼吸が一時停止した」と臨死状態にあったことを述べ、同9日の気管切開により発声ができなくなり、人工呼吸器装着とともに胃ろうを設けたことを公表した。上記のYouTubeでの動画も、コンピュータ合成による人工発声を使用した[13]。同年3月、30年の長きにわたりニャンちゅう役として愛され、ALSを発症してからも出演を続けたことが評価され、第74回(2022年度)NHK放送文化賞を受賞した[14]
人物・エピソード
子供時代について

幼かった頃、隣に玩具のダイヤブロックを開発した社長が住んでいた縁で、津久井はダイヤブロックのパッケージや広告のモデルに起用された[2]

子供の頃は目立ちたがり屋で、好きなものにはなんでも首を突っ込む性格だったとのこと。水泳やピアノなど様々な習い事を経験したが飽きっぽい所があり、ある一定のレベルに達すると辞めては他のことに興味を持つということを繰り返していた。そんな中でも読書は長年に渡ってのめり込み、江戸川乱歩エラリー・クイーンなどの推理小説、クイズ本、漫画が好きになったとのこと[2]

得意とする早口言葉は9歳のころに祖父に教わったものと語っている。
声優の仕事との出会いについて

高校時代は周りから“本の虫”と言われるようになり、漫画研究会に所属した。この頃、父からコマ撮りできる最新型の8ミリカメラと映写機を借りて部員たちでアニメを作った。高校生や大学生などを対象にしたショートアニメの出品会に参加すると、部員から「今度プロの声優が参加するアニメで高校生役を演じる人を探しているらしい」との話を聞く[2]

その作品に参加した関係で曽我部和恭中尾隆聖などプロの声優と知り合うきっかけとなった。その収録の際、物怖じしない性格や読書好きが講じて台本から役の心情を読み取れたことを気に入られた津久井は、その後現在の事務所である81プロデュースに所属することとなる[2]

この作品で声優の仕事に興味を持つが自分の力のなさを痛感したことから声の出し方を本格的に学ぶことを決め、高校卒業後は日本大学芸術学部放送学科のアナウンスコースに進学[注釈 2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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