洞爺湖電気鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
北海道虻田郡虻田村洞爺湖温泉町[1]
設立1927年(昭和2年)5月7日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、バス事業、運動場・娯楽場経営、不動産、温泉経営、旅館業、船舶運輸業、倉庫業[1]
代表者社長 板谷順助[1]
資本金280,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1940年(昭和15年)11月1日現在[1]。
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洞爺湖電気鉄道(とうやこでんきてつどう)は、かつて北海道虻田町(現・洞爺湖町)の町内を通っていた鉄道路線、およびその運営会社である。 1928年(昭和3年)、鉄道省長輪線(現JR北海道・室蘭本線)の静狩 - 伊達紋別間が開通し、虻田町の町域南部に虻田駅(現・洞爺駅)が開設されることが決定したのを受け、長輪線と町域中央部の洞爺湖南岸にある洞爺湖温泉を結ぶ目的で計画された路線である。 社名が示すように、動力は電気を用いた。沿線にスキー場・ゴルフ場・競技場を開設するなど、洞爺湖温泉地域の観光開発も手がけたほか、洞爺湖西岸と東岸から産出される鉱産資源を船舶で湖上輸送し、鉄道と連絡させる貨物輸送も行っていた。 路線は見晴山と有珠山の間を通っていたため線形が悪く、急勾配・急曲線を多く有していた。 改正鉄道敷設法別表第132号に規定する予定線「胆振國京極ヨリ留壽都ヲ經テ壯瞥ニ至ル鐡道」に従う形で路線を北へ延長し、喜茂別で胆振鉄道と接続する計画もあったが、胆振縦貫鉄道が喜茂別 - 伊達紋別間を着工したため中止された。また胆振縦貫鉄道が洞爺湖電気鉄道に並行する形で伊達紋別 - 徳舜瞥間(のちの胆振線)を開通させたことに加え、急勾配・急曲線が多いため軌条の摩耗がひどく、戦時下の資材価格の高騰により軌条や枕木の入手が困難になったこともあり、1941年(昭和16年)に廃止された。 会社はその後も路線を自社バスに代替して営業を続けたが、1944年(昭和19年)に道南バスに統合された。 廃線跡はかなりの部分が道路として残されていたが、2000年の有珠山噴火に伴い廃線跡近辺に西山火口が現れた事から周辺は通行不能を経て実質的に消滅し、洞爺湖付近も防護壁などの建設に伴って区画整理が行われた事から痕跡は失われた。 洞爺湖電気鉄道線 1939年(昭和14年)11月1日時点で虻田発は7時50分から21時25分まで計12本、洞爺湖発は7時20分から20時25分まで計10本、いずれも1時間から2時間おきに運行し、全線の所要時間は22分であった。 同日時点での虻田 - 洞爺湖間の運賃は片道40銭、往復60銭であった。
概要
路線データ
路線総延長8.8 km
軌間1,067 mm
電圧600 V 架空電車線方式(直流)
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
0.0洞爺駅
8.8(貨)湖畔駅
路線距離(営業キロ):8.8 km(うち貨物線1.6 km)
軌間:1,067 mm
駅数:4駅(うち貨物駅1駅)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600 V)
洞爺湖変電所、回転変流機(交流側444 V・直流側600 V)直流側の出力150 kW、常用1予備1、製造者日立製作所[2]
閉塞方式:タブレット閉塞式
根拠法:地方鉄道法
運行形態
歴史
1926年(大正15年)7月22日:洞爺温泉電気鉄道に対し鉄道免許状下付(虻田郡虻田市街地-同郡同村洞爺)[3]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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