洋ラン
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、植物について説明しています。学生服の一種については「長ラン」をご覧ください。
代表的な洋ラン
カトレアの園芸品種さいたま市園芸植物園の洋蘭エリア

洋ラン(ようラン)は、鑑賞目的で栽培される、主として熱帯起源のラン科植物及びその交配品種のこと。その趣味が欧米経由で日本に入ったことから、この名がある。おおむね、大輪で派手な花をもってよしとする。
概要

ラン科の植物は花の美しいものが多く、特に熱帯域ではその種類も多く、美麗なものや不思議な形のものが多数知られている。それらを園芸の立場から洋ランという。野生から採集したものの他、交配などの品種改良も多く行われ、おびただしい数の品種が作られている。ラン科では属間雑種が出来る例も多いことから、人為的な属も多い。ただ、そのような採取のために野生種が絶滅に瀕する例もあったことから、現在では採集に制限がかけられるなどの保護策が講じられている。

栽培は普通は温室で行われるが、熱帯域では屋外で栽培される例も多いし、温帯であっても耐寒性の強い種は野外で維持できる例もあり、必ずしも温室は必須ではない。日本では、むしろ夏の暑さを避ける必要がある例もある。いずれにせよ、ラン科は特殊な菌根を持つこと、着生植物が多いことなど一般的な園芸植物とは違う面が多く、栽培には特殊な素材や鉢を用いるなど、独特な面が多い。

ヨーロッパにおけるラン栽培は、ほぼ18世紀に始まった。当時は温室などが普及しておらず、それを手にするものは少なかったが、やがて栽培技術の向上とともに広く親しまれるようになった。世界各地の熱帯から、新しい種が導入されるとともに、交配によって多くの園芸品種が作られた。19世紀にはアメリカにも導入され、ハワイで洋ラン栽培が一つの産業として定着するに至った。現在では、熱帯の各国で生産が行われている。

その後メリクロン法などの大量増殖の開発、密閉性がよく家庭内暖房の効いた住宅の普及、無菌播種法による交配品種改良の効率化などによって一般にも広まり、庶民にも普及した一つの園芸のジャンルとして定着している。洋ラン趣味は、元来は栽培をして花を咲かせて楽しむ、と言うものであったが、栽培と繁殖の技術の向上によって安定的な供給が可能となり、開花株や、あるいは切り花の生産販売が産業として成立するようになった。

なお、中国でははるかに古い時代から士大夫など教養人の高尚な趣味として、温帯地上性の小型のシンビディウム属のラン科植物を栽培することが行われ、突然変異個体の選抜による様々な品種が栽培されていた。それらは日本にも伝えられ、中国伝来及び日本に自生するシュンランカンランのような温帯性シンビディウム属のランに加え、フウランの変異個体の品種群である富貴蘭、及びセッコクの変異個体の品種群である長生蘭とともに東洋ランという違ったジャンルを形成している。なお、近年ではこれらをも洋ランの中に取り込むような動きもある。
歴史

洋ラン趣味は、ヨーロッパから始まったもので、特にイギリスがその発祥とされている[1]。このころ、世界各地の品物とともに多くの植物がヨーロッパに持ち込まれ、園芸用に栽培された。熱帯産のラン科植物も、様々なものがヨーロッパに持ち込まれた。

ヨーロッパに熱帯性のランが紹介されたのは、1731年で、西インド産の Bletia verecunda がイギリスに持ち込まれたのが初めてとされ、この種は翌年に開花を見た。1800年代にはバンダ[要曖昧さ回避]、デンドロビウムなどが紹介され、1823-1825年にはスタンホペアオンシジウムも導入された。この頃は温室も不完全であり、栽培法もわからない状態であったが、その後は暖房可能な温室も作られるようになり、19世紀半ばにはラン栽培に関する書籍が出版されるようになった。ミズゴケが栽培に用いられるようになったのも、この頃である。

交配品種の作出もこの頃に始まった。1853年にイギリスのヴィーチ商会の栽培主任であったドミニーはオナガエビネとツルランとの交雑を成功させ、1856年に初めて開花させた。この交配種はカランセ・ドミニーと命名された。これ以降多くの交配品種の作出が行われるようになり、1859年にはカトレヤでの種間交雑が、1863年にはレリアとカトレヤの間での属間交雑が行われた。これによって洋ラン栽培において扱われる品種の数がはるかに増大することとなり、情報の混乱も見られるようになった。これを防ぐためにラン商であったサンダー商会が統一したリスト作成を提唱、1946年にそれまでに知られた交配品に関する情報(両親、作出者など)を網羅したリストを作り上げた。それ以降のものについても追加リストの作成が行われ、1961年以降はこの事業が王立園芸協会に引き継がれ、サンダーズリストと呼称されている。ここに記録されている交配品種の数はすでに十万を超えるという[2]

アメリカでのラン栽培は1836年頃に始まる。1920年には、アメリカラン協会が設立された。

日本には明治の頃に持ち込まれた。明治22年(1889)に子爵福羽逸人がフランス留学から帰国時にシンビジウムやオンシジウムを持ち帰り、明治27年には新宿御苑に温室が建設されて本格的な洋ラン栽培が始まった[3]。当時の華族皇族の間で広まった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:23 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef