泰山
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「泰山」のその他の用法については「泰山 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「岱山」はこの項目へ転送されています。中華人民共和国浙江省舟山市、同県に位置する舟山群島の島およびその最高峰については「岱山県」をご覧ください。

「岱岳」はこの項目へ転送されています。泰安市の区については「岱岳区」をご覧ください。
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泰山
中華人民共和国

泰山 南天門
英名Mount Taishan
仏名Mont Taishan
面積250km2
登録区分複合遺産
IUCN分類III(天然記念物)
登録基準(1),(2),(3),(4),(5),(6) (7)
登録年1987年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図

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泰山(たいざん)は、中華人民共和国山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。

封禅の儀式が行われる山として名高い。道教聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。華北平原の丘陵を見下す雄健かつ壮観な絶頂は五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも景仰される春秋時代以来の伝統がある。一例として泰山地震は天下の大事であった。ユネスコ世界遺産(複合遺産)に登録されている。また「泰山国家地質公園」としてジオパークにも指定されており、ユネスコ世界ジオパークネットワークにより認定されている[1]中華人民共和国国家級風景名勝区(1982年認定)[2]中国の5A級観光地(2007年認定)[3]

山頂付近に「五嶽獨尊」と書かれた石碑があり、泰山の風景はこの石碑と共に現在中国で発行されている5紙幣の裏面の図柄に採用されている。
概要

主として「東岳大帝」(同「泰山府君」)と「碧霞元君」(同「泰山娘々」)と「眼光?々」を祀っている。泰山府君は病気や寿命、死後の世界の事など、生死に関わること全般に、また碧霞元君は出産など、女性に関する願い事全般に、そして眼光??は目に利益があると、それぞれ信じられている。その人気は普陀山観音信仰と比せられるほどで、中国大陸での人気を二分している。泰山玉皇頂

そもそも、泰山では東岳大帝が最も重要な神位として祀られてきた。後漢代には「俗に岱宗(=泰山)上に金篋・玉策があり、人の年寿の脩短をよく知る」(『風俗通』巻2)と記されている。つまり、泰山の山頂には人間の寿命の定数を記録した原簿に相当する帳簿が置かれているという信仰が存在していた。下って魏晋南北朝より代頃になると、その帳簿を管理する、人間界同様の組織の存在が想定されるようになる。こうして、長官としての泰山府君が出現し、その配下の官僚としての泰山主簿、泰山録事、泰山伍伯等の存在が生み出されてくるのである。日の出

また、後漢代には伝来していたとされる仏教の漢訳経典中に見られる「太山地獄」が、中国では現実に実在する泰山の地下深くに存在するものと考えられるようになった。こうして泰山地獄も誕生する。

代頃に入ると跡継ぎ問題により娘の碧霞元君の人気が上がりはじめ、現在のように碧霞元君に参詣するという形式になったという。代の小説『醒生姻縁伝』にはその信仰が詳細に描かれている。

山頂へと続く参道には斗母宮や関帝廟といった多くの道観(道教寺院)群や渓谷の一面に『華厳経』が彫られた経石峪がある。また頂上付近には碧霞宮と呼ばれる碧霞元君を祭った道觀や、玉公閣という東岳大帝を祀った道觀、漢の武帝が建てたと伝えられる、「無字碑」という碑面が無地の碑文、摩崖碑と呼ばれる玄宗皇帝が彫らせた封禅の碑文があり、見所となっている。また、山中には漢のコノテガシワイブキ、唐のエンジュ、「望人松」「五大夫松」などのマンシュウアカマツ(英語版)、イチョウロウバイ、シナフジ(英語版)などの老木もある[4][5]

泰山の道観には東岳大帝と碧霞元君と共に観音菩薩や弥勒菩薩を祀っている所も多い。

山麓には泰山府君を祀った岱廟がある。岱廟の壮大な有様は中国三大建築(他に、孔廟紫禁城)の一つに数えられる。岱廟は現在は泰安博物館となっており、封禅の時に記念して彫られた多くの碑文がここにある。有名なところでは、秦の始皇帝が行幸の折に泰山に残した李斯の碑文が見られる。泰山とその周辺には普照寺や竹林寺、霊巌寺といった由緒ある仏教寺院も多く、特に霊巌寺には日本からの曹洞宗の留学生が宋代に多く訪れている。

泰山山頂までは現在、一般道が中腹まであり、またそこからはロープウェイが走っており、容易く登れるようになっている。ただし、泰山の標高は1500mに過ぎないが、山麓の地表の高度は0mに近いため麓から歩いて登るときには3時間は掛かる。

最初から頂上までは、石段が整備されている。途中までは、バスで行くこともでき、約3000段分を省略できる。正確ではないが、この途中のバスターミナルは登山道のほぼ中央に位置しており、歩けばここまで2、3時間、ここから南大門、頂上までさらに3時間程度かかる。南大門への最後の石段の角度は70度くらいあり石段の幅も狭いが、左右に手すりがあるので安全に上ることができる。登山道は南から北にほぼ一直線。ただし、石段の幅が数メートルあるところもあり、石段をジグザグに上ると疲れにくい。
泰山と道教碧霞宮

封禅は皇帝のものであるが、庶民の間でも泰山にまつわる信仰の歴史は古い。春秋戦国に書かれた『荘子』の内篇の第一逍遙遊には既に大きいものの例えとして、「太山」という名前が記されている。荘子では人間の小ささを表すために、絶大な大きさを持つ架空のという名の鳥を例に対比させている。これは泰山がとてつもなく大きいものの代表という概念が、春秋時代にはもう形成されていたことを示している。

山と道教と言った関係からも、道教と泰山はもともと相性が良かったと言いえよう。東晋の『捜神記』には、早くも泰山が神性を帯びて冥界の神として登場する。以後、泰山府君を中心とした泰山信仰は『太平広記』や『夷堅志』などの異聞に多く見られる。

宋代に入ると、山頂の碧霞元君廟の周辺から碧霞元君像が発見されたことを契機に、泰山での信仰形態が変化する。泰山府君の娘で女性に関すること全般に御利益があるとされる碧霞元君へ参拝することが女性の間で人気となり、明代に入ると主神である泰山府君の人気を越えるものになった。その後、碧霞元君を祀った碧霞元君廟が中国各地で作られた。本廟以外、泰安市内にも碧霞元君を主神として祀る廟は4つも存在する。そのどれもが戦災を経て現存、もしくは復元されていることも特筆すべきことである。これは一貫した碧霞元君人気を表すものに他ならない。また、エドゥアール・シャヴァンヌは当時の北京にあった碧霞元君廟を調査し《泰山》に記載している。

泰山は碧霞元君を主神として今でも多くの参拝者を抱えており、1987年に複合遺産として世界遺産に登録されている。文化遺産の登録基準をすべて満たしている(他には、莫高窟ヴェネツィアとその潟。また単純な文化遺産としてみた場合、自然遺産との複合では泰山が文化遺産の基準のすべてに加えて自然遺産の条件をひとつ満たしている)。


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