この項目では、横浜市の地名について説明しています。生物のドロガメ科については「ドロガメ科」を、ドロガメ属については「ドロガメ属」を、滋賀県の郷土料理については「泥亀汁」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 神奈川県 > 横浜市 > 金沢区 > 泥亀
泥亀
町丁
国道16号。奥が磯子方面。右手に区総合庁舎と金沢消防署、左手は京急サニーマート
泥亀(でいき)は、神奈川県横浜市金沢区の町名。現行行政地名は泥亀一丁目及び泥亀二丁目。住居表示実施済み区域[5]。郵便番号236-0021[3](集配局:横浜金沢郵便局[6])。 町の中央を南北に走る国道16号泥亀バイパス沿いに栄え、金沢区総合庁舎(区役所)、警察署、消防署、郵便局、図書館などの官公署や、京急サニーマート、ユニオンセンター、イオン金沢八景店(金沢八景プランタンを経て旧ダイエー金沢八景店)などの商業施設が立ち並ぶ。京急金沢文庫駅と金沢八景駅の間に位置し、国道16号を挟み西側が一丁目、東側が二丁目となっている。北は谷津町、西は大川、南は瀬戸、東は金沢町・寺前・町屋町・洲崎町に隣接する。西端を京急本線が走り、北隣の谷津町にある金沢文庫駅と南隣の瀬戸にある金沢八景駅が利用できる。 町内の警察の管轄区域は以下の通りである[7]。 丁目番・番地等警察署交番・駐在所 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、泥亀1-10-19の地点で29万5000円/m2となっている[8]。 面積は以下の通りである[2]。 丁目面積(km2) 17世紀に永島祐伯 2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口
地理
警察
泥亀一丁目全域金沢警察署金沢文庫駅前交番
泥亀二丁目全域
地価
面積
泥亀一丁目0.296
泥亀二丁目0.098
計0.394
歴史
沿革
1668年(寛文8年) - 永島祐伯が新田の開発を始める[9]。塩分が多いため水田には向かず、レンコンを採取する蓮田や、塩田として利用された。
1703年(元禄16年) - 元禄大地震により新田が荒廃。
1786年(天明6年) - 祐伯の6代目の子孫である段右衛門により一旦の完成をみるが、7月に洪水に見舞われる。
1791年(寛政3年) - 1786年と1791年の洪水により、水没。
1849年(嘉永2年) - 祐伯の9代目の子孫である忠篤により泥亀新田が完成。
1889年(明治22年) - 金沢村の一部となる。
1936年(昭和11年) - 蓮田の一部を埋め立て、日本製鋼所横浜製作所操業開始(1983年に区内福浦に移転し跡地は現在イオン金沢八景店とパークシティー金沢八景となっている)。
1961年(昭和36年)6月28日 - 台風6号による水害で床上浸水の被害が出る。
1962年(昭和37年)10月 - 横浜市による泥亀新田埋立事業着工。上記の水害により、水路を設けて低地の水を汲み出す工法が採られた[9]。
1966年(昭和41年)3月 - 泥亀新田埋立竣工。
1969年(昭和44年)3月 - 国道16号泥亀バイパス供用開始。幅員11mでカーブが多かった旧道に比べ、幅員は22mとなり、経路は直線状で500mほど短縮され、渋滞緩和に貢献した[10]。
1975年(昭和50年)7月28日 - 住居表示施行、泥亀1・2丁目となる[11]。
世帯数と人口
泥亀一丁目1,874世帯3,582人
泥亀二丁目876世帯1,744人
計2,750世帯5,326人
人口の変遷
1995年(平成7年)[12]7,196
2000年(平成12年)[13]6,519
2005年(平成17年)[14]6,159
2010年(平成22年)[15]5,458
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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