波戸康広
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波戸 康広

名前
カタカナハト ヤスヒロ
ラテン文字HATO Yasuhiro
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1976-05-04) 1976年5月4日(43歳)
出身地兵庫県三原郡西淡町(現南あわじ市津井
身長178cm
体重72kg
選手情報
ポジションFW / MF / DF
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1995-1998横浜フリューゲルス 34 (0)
1999-2004横浜F・マリノス 110 (1)
2004-2005柏レイソル 50 (1)
2006-2009大宮アルディージャ 123 (0)
2010-2011横浜F・マリノス 41 (0)
代表歴2
2001-2002 日本15 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月31日現在。
2. 2002年5月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

波戸 康広(はと やすひろ、1976年5月4日 - )は兵庫県三原郡西淡町(現南あわじ市津井出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。元日本代表

現在は横浜F・マリノスでアンバサダーを務める。
目次

1 経歴

1.1 ポジションの変遷


2 エピソード

3 所属クラブ

4 個人成績

5 代表歴

5.1 試合数


6 脚注

7 外部リンク

経歴

1995年滝川第二高校から横浜フリューゲルスに入団[1]。元々はフォワードだったが、サテライト監督のゲルト・エンゲルスによって右サイドにコンバートされ[2]1997年森山佳郎から右サイドのポジションを奪う形で頭角を現す。1998年の横浜F消滅の際に横浜F・マリノスへ移籍[2]。横浜FMではチーム事情からストッパーとしてプレーしたことがきっかけとなり、サイドバックやセンターバックもこなした[2]

それまで日本代表および年代別の代表とも縁がなかったが、2001年4月のスペイン戦に向けて初招集され、この試合で先発メンバーとして代表デビューを飾った[2]。当時の日本代表は同年3月のフランス戦で0対5と大敗した直後で、守備の建て直しが急務と考えた監督のフィリップ・トルシエによって右ウイングバックに抜擢された[2]

2001年の日本代表のほとんどの試合に出場していたが、2002年ワールドカップ本大会前には清水エスパルス三都主アレサンドロとの強力ウイングバックコンビとして頭角を現していた市川大祐が起用されるようになり、波戸は本大会メンバーから外れた。

2003年は頭部に怪我を負い、治療に7か月を要した[2]2004年シーズン途中に柏レイソルへ移籍し[2]右ウイングバックの他、センターバックやリベロでプレイしていたが、2005年の2005年J2最終節#入れ替え戦J1J2入れ替え戦ヴァンフォーレ甲府に大敗を喫し柏はJ2に降格。シーズン終了後大宮アルディージャからのオファーを受けて移籍した。2009年をもって契約満了となり大宮を退団した[2]

2010年、古巣の横浜F・マリノスに復帰[2]2011年11月19日にシーズンをもって現役引退を表明、12月3日の鹿島戦が現役最後の試合となった[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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