はさきまち
波崎町
波崎海水浴場
波崎町旗波崎町章
波崎町旗波崎町章
廃止日2005年8月1日
廃止理由編入合併
波崎町 → 神栖町
(即日市制施行し神栖市に)
現在の自治体神栖市
廃止時点のデータ
国 日本
地方関東地方
都道府県茨城県
郡鹿島郡
市町村コード08407-7
面積68.28 km2
総人口38,872人
(推計人口、2005年8月1日)
隣接自治体銚子市、神栖町、東庄町
町の木マツ
町の花センリョウ
町の鳥カモメ
波崎町役場
所在地〒314-0422
茨城県鹿島郡波崎町6530
外部リンク波崎町
波崎町(はさきまち)は、茨城県に存在した町である。2005年8月1日に隣接する神栖町に編入し、神栖市の一部となったため廃止した。 茨城県の東の端、利根川の河口付近に位置し同川を挟んで千葉県銚子市と向かい合っている。 波崎町町域の変遷(年表) 波崎町町域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) 中学校 小学校
地理
隣接していた自治体
茨城県
鹿島郡神栖町
千葉県
銚子市
香取郡東庄町
歴史
沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、鹿島郡東下村(とうしもむら)が発足。
1928年(昭和3年)1月1日 - 東下村が町制施行改称し波崎町になる。
1938年(昭和13年)1月5日 - ゴンドウクジラの大群が押し寄せ60余頭を捕獲。翌日には銚子側で200頭前後が捕獲された[1]。
1953年(昭和28年)5月18日 - 国道124号が制定。
1962年(昭和37年)12月11日 - 銚子大橋が供用開始。
2000年(平成12年)3月18日 - 利根かもめ大橋が供用開始。
2005年(平成17年)8月1日 - 神栖町に編入。同日波崎町廃止。
同日、神栖町は市制施行し神栖市となる。
行政区域変遷
変遷の年表
年月日旧波崎町町域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足[2][3][4]。
東下村 ← 東下村単独で村制施行
矢田部村 ← 矢田部村単独で村制施行
若松村 ← 柳川新田・須田新田・太田新田
1928年(昭和3年)1月1日東下村が町制施行改称し波崎町になる。
1955年(昭和30年)2月15日波崎町は矢田部村を編入。
1956年(昭和31年)2月15日波崎町は若松村の大半(太田新田の一部を除く)を編入。
1980年(昭和55年)神栖町と波崎町の境界が一部変更。
神栖町の一部(日川の一部)を波崎町に編入。
波崎町の一部(柳川の一部)を神栖町に編入。
2005年(平成17年)8月1日波崎町は神栖町に編入され、消滅。
同日、神栖町は市制施行し神栖市となる。
変遷表
1868年
以前明治22年
4月1日明治22年 - 昭和19年昭和20年 - 昭和64年平成元年 - 現在現在
東下村東下村昭和3年1月1日
波崎町に
町制改称波崎町平成17年8月1日
神栖町に編入神栖市
矢田部村矢田部村矢田部村昭和30年2月15日
波崎町に編入
柳川新田若松村
の一部若松村の一部昭和31年2月15日
波崎町に編入
須田新田
太田新田の一部
教育
波崎第一中学校
波崎第二中学校
波崎第三中学校
波崎第四中学校
波崎東小学校
波崎西小学校
明神小学校
矢田部小学校
植松小学校
土合小学校
太田小学校
須田小学校
柳川小学校
道路
一般国道
国道124号
都道府県道
茨城県道117号深芝浜波崎線
茨城県道198号銚子波崎線
茨城県道241号須田奥野谷線
茨城県道258号波崎港線
茨城県道260号谷原息栖東庄線
出身著名人
松島竜太 - サッカー選手
銚子利夫 - 元プロ野球選手
山本懸蔵 - 労働運動家・戦前期の日本共産党党員
須之内美帆子 - タレント
エド・はるみ - お笑い芸人
長谷川昌幸 - プロ野球選手
花塚廉太郎
脚注[脚注の使い方]^ 利根川河口にクジラの大群、二百頭捕獲『大阪毎日新聞』(昭和13年1月7日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p363 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
^ 神栖町史編さん委員会編著『神栖町史 下巻』、神栖町、1989年より
^ 波崎町史刊行専門委員編 『波崎町史』、波崎町、1991年より
^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より
関連項目
茨城県の廃止市町村一覧