泗川市
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慶尚南道 泗川市草養島側から望む三千浦大橋(左)と草養大橋(右)。遠くにある山々は固城郡に属する
位置

各種表記
ハングル:???
漢字:泗川市
片仮名転写:サチョン=シ
ローマ字転写 (RR):Sacheon-si
統計(2023年
面積:398.26 km2
総人口:109,030[1]
男子人口:55,139 人
女子人口:53,891 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:慶尚南道
下位行政区画:1邑7面6洞
行政区域分類コード:?
泗川市の木:イチョウ
泗川市の花:ツツジ
泗川市の鳥:カモメ
自治体公式サイト: ⇒泗川市
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泗川市庁

泗川市(サチョンし)は、大韓民国慶尚南道の南部にある港湾都市である。泗川湾をかかえ、湾の入口には三千浦港がある。また文禄・慶長の役における泗川の戦いなどが行われた場所でもある。市のブランドスローガンは「Rising Sacheon」。
概要

釜山から西へ95km、光州から東南東へ105kmと、両市のほぼ中間点に当たる。閑麗水道と、それから入り込む泗川湾を囲むような市域となっており、海上観光や海水浴場などがある。2006年に泗川湾の東西を結ぶ泗川大橋が開通した。

また、市の北部には軍民共用の泗川空港が設置されており、さらに韓国航空宇宙産業(KAI)の本社・工場が置かれるなど、航空・国防の街ともなっている。人口は1980年の135,596人(三千浦市と泗川郡を合わせた人口)から2005年には111,930人まで減少したが、その後は緩やかな増加傾向が見られる。人口は泗川湾の南部側に多い。2010年の外国人人口は2075人。中国およびベトナム国籍がそれぞれ500人ほどであり、日本人は36人が登録されている。
歴史
三千浦市・泗川市

1956年

7月8日 - 泗川郡三千浦邑・南陽面をもって三千浦市を設置。

10月1日 - 南陽出張所を設置。[2]


1995年

5月1日 - 勒島出張所・新樹出張所を設置。[3]

5月10日 - 三千浦市・泗川郡が合併して泗川市が発足。[4](1邑7面)


1998年9月12日(1邑7面6洞)[5]

大芳洞が東西洞に編入。

東佐洞が仙亀洞に編入。

鳳梨洞が香村洞に編入。

南陽1洞・南陽2洞が合併して南陽洞が発足。


1999年8月27日 - 南陽出張所が廃止。[6]

2003年12月31日 - 勒島出張所が廃止。[7]

2007年5月10日 - 市庁舎が龍見面徳谷里に移転。

泗川郡

1895年 - 二十三府制の施行により、晋州府泗川郡に改編。

1896年 - 十三道制の施行により、慶尚南道に属す。この時期、西隣りの昆陽郡を編入したが再度分離した。

1912年 - 晋州郡文善面と固城郡南陽面を編入。

1914年4月1日 - 郡面併合により、旧泗川郡および昆陽郡の大部分(西面・金陽面を除く)・晋州郡?東面・夫火谷面を新泗川郡として編成。泗川郡に以下の面が成立。[8](11面)

邑内面・邑東面・邑西面・邑南面・南陽面・洙南面・文善面・?東面・昆陽面・西浦面・昆明面

朝鮮総督府令第111号

朝鮮総督府令第111号
旧行政区域新行政区域
泗川郡郡内面、下西面、北面邑内面
泗川郡上州内面、東面邑東面
泗川郡上西面、近南面邑西面
泗川郡中南面、下南面邑南面
昆陽郡加利面、東部面昆陽面
昆陽郡雨浦面、西部面西浦面
昆陽郡昆明面、所谷面、草梁面、城方面昆明面
晋州郡夫火谷面、?東面?東面


1918年7月 - 洙南面・文善面が合併して三千浦面が発足。[9](10面)

1925年 - 邑内面が泗川面に改称。(10面)

1931年

4月1日(10面)[10]

邑東面が正東面に改称。

邑西面が泗南面に改称。

邑南面が龍見面に改称。


11月1日 - 三千浦面が三千浦邑に昇格。(1邑9面)


1956年7月8日(1邑7面)

三千浦邑・南陽面が三千浦市に昇格して泗川郡より離脱。[11]

泗川面が泗川邑に昇格。[12]


1983年2月15日[13]

昆陽面加花里の一部が晋陽郡奈洞面に編入。

西浦面舞鼓里・脈社里が昆陽面に編入。


1995年5月10日 - 三千浦市・泗川郡が合併して泗川市が発足。泗川郡消滅。


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