法鼓山
[Wikipedia|▼Menu]

法鼓山(ほっくさん)は、台湾仏教系団体である。

淵源は釈東初の創建した「農禅寺」と「中華仏教文化館」である。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 創建者

2.2 開山

2.3 命名

2.4 法鼓山の宝物


3 理念

3.1 大衆の悲願成就


4 関連寺院、団体、道場及び組織

4.1 僧団

4.2 中華仏教文化館

4.3 農禅寺

4.4 精舎

4.5 座禅修行普及センター(伝燈院)

4.6 仏教学普及センター

4.7 護法総会

4.8 仏法青年会(青年発展院)

4.9 僧伽大学

4.10 中華仏教研究所

4.11 人文社会学院

4.12 法鼓文化

4.13 基金会


5 参考文献

6 外部リンク

7 脚注

概要

農禅寺は1971年に創立された。坐禅修行を主とする傍ら、農業に従事し生計を立てて来たことから、「農禅寺」という。当時、東初は台湾仏教文化を推進し、仏教の人材育成に力を尽くし、毎年冬には救済活動を行ってきた。

1977年、東初の弟子の釈聖厳は、中華仏教文化館と農禅寺住職を引き継ぎ、仏法を大衆が理解し、その観念を実行し、仏法修行が受け入れられるように、普及活動を行った。

その後、農禅寺には信徒が、中華仏教研究所には学生が日増しに増加した。1989年台北県金山郷三界村の土地を購入し、聖厳法師はその土地を「法鼓山」と命名した。こうして「法鼓山」を名前に持つ団体が成立したのである。
歴史
創建者

聖厳法師は東初和尚の遺志を引継ぎ、1977年和尚の入寂後、仏門の事務を継承担当した。1989年に購入した地に法鼓山を創建し、初代住職に就任した。

2006年9月2日に果東法師が第2代住職に就任。
開山

法鼓山の第一期工事開始式典は1993年に挙行された。更に教育理念を確実にするために、同年、法鼓大学設立準備処が正式に成立した。

その後、建設が進むに従って、法鼓山も中国の古い仏教寺院を手本として、正殿真下に地下宮殿を設置し、1996年に本殿基礎の大典と地下宮殿に宝物を納める儀式を挙行した。300点以上の台湾仏教典籍、文物を納め、西暦3000年に開くことを記載した。これは台湾仏教文化を伝承する新しい歴史の1ページである。

10数年の努力と経営により、法鼓山の第一期工事は2001年に正式に完成し、使用できるようになった。中華仏教研究所、僧伽大学も続々と引っ越して来て、建設途上の仏教教育園区も少しずつ具体化され、世間の人々の前に現れ始めた。

2002年には正殿の棟上式が行われ、仏教教育園区の工事は新しい段階に入った。
命名

「法鼓」この言葉は、仏典中しばしば現われる言葉である。

たとえば《妙法蓮華経》では「惟願天人尊, 轉無上法輪, 撃於大法鼓, 而吹大法螺, 普及大法雨, 度無量衆生, 我等咸歸請, 當演深遠音。」で、「撃大法鼓」とは、仏法の太鼓の響きは人々の心を浄化し、人々の心に安楽と平静をもたらすのである。

法鼓山の地理的な形状は、太鼓が横たえられたようで、経典の比喩に基づき鼓に似た形から「法鼓山」と命名された。
法鼓山の宝物

2006年12月23日に、法鼓山世界仏教教育園区で、法鼓山鐘楼落成記念式典が行われた。鐘楼には「法華の鐘」があって、法鼓山の宝物になっている。

法華の鐘の材質は青銅の鋳造で、重量254.5トン、高さ4.5メートル、直径2.6 メートル、最も厚い箇所は29.6センチメートルの様式の梵鐘である。

2004年5月に日本の「老子株式会社」に鋳造を依頼し、2005年11月に完成した。

「法華の鐘」には特別に、梵鐘の内側外側に《妙法蓮華経》1部、69,636文字と、《大悲呪》1巻、424文字が鋳込まれ、「多宝塔と双仏陀坐像」が描かれている。
理念
大衆の悲願成就

法鼓山の創立者の聖厳法師は法鼓山には大きな資金力はない、しかしその影響力は深遠で広大である。これは私達の特色だ。法鼓山は社会のために良好な気風をもたらし、有益な修行方法を提供する。これは私達が貢献できることだ。

と話されている。

1989年に法鼓山は正式に其の理念――『人の品質を高め、この世の浄土の大建設』を提唱し、それ以後、このテーマを主題に各種の教化活動を実施している。

1992年に『心の環境保護』の観念を打ち出し、その年を「心の環境保護年」と定めた。

1994年には「四環」の理念を掲げた。

四環とはつまりで、四種の環境保護、心の環境保護を主とし、心の内面から発して、外に向かい、自己と他人を社会、人類、環境、自然、生態に対する思いやりにまで拡大すること。心の環境保護 - 心の環境保護は法鼓山のすべての行動の総則で、主要な意義は心の環境の浄化と安定を維持することにある。礼儀の環境保護 - 心のマナー、言葉のマナー、身のマナーの浄化で、人々と自己の調和を促進する。生活環境保護 - 多くを欲せず満足を知り、質素に自然に、禅宗の言う「修行は常住坐臥」の観念を実行することにある。自然環境保護 - 知福惜福、大地自然に感謝し、我々人類は自然の一部であることを認識し、極力大自然が汚染破壊されないように保護する意味。

そのため、法鼓山はここ数年来仏教の合同葬儀、婚礼を実施し、共同でを弔いをし、共同で結婚の祝いの儀式をすることによって、人々が四環の観念を生活の中で実行することを望んでいる。

1999年には「心の五・四運動」を提起し、過去数年来打ち出してきた重要な観念と方法を整合し、21世紀における人類の生活規範とした。

心の五・四運動は一種の心の建設工事で、法鼓山が実践する四種の環境保護運動を推進する観念と方法で、それは仏法の中の奥深い学理を普通の人ででもできる観念と方法に転化している。

全部で五つの大きな項目があり、各項目ともそれぞれ四種の「」の観念と方法があるので「心の五四」と称する。四安 - 安心、安身、安家、安業は、人の品質を高め、新しい秩序建設を主張している。四要 - 必要なものだけが必要で、欲しいと思うものはさほど重要ではなく、求める能力があり、必要とするものは必要で、能力がなく、欲してはならないものは決して必要ではないのである。煩悩に直面し、人々の心の声を安定させるのである。四它 - それに直面し、それを受け入れ、それを処理し、それを放つ。人生の困難を解決する主張である。四福 - 福を知り、福を惜しみ、福を養い、福の種まきをする。人類に福祉を増進する主張である。

したがって、法鼓山は創立者の聖厳法師は人の品質を高め、この世の浄土大建設の共通認識と、理念を打ち出した。精神の上で私達は自分を献げ、社会の大衆を成就せしめる。仏陀の時代に回帰し、世界浄化の推進はその針路である。最後に、実行の方法は…全面教育を提唱し、人々への思いやりに根を下ろすのである。

1990年、聖厳法師は「大衆仏弟子共勉語」を著し、共同修行の力で普く世界が平和になるように期待するものである。その内容は以下のとおり仏を信じ仏法を学び僧を敬う、三宝は万世の明かりなり。

人の品質を高め、この世の浄土の大建設。
恩知恩報まずはじめ、人を利すのが我が身の利。
尽心尽力第一番、彼我の多少を争わず。
慈悲の心に敵なし、智慧あれば煩悩起きず。
忙しい人の時間は最多、勤労健康最も良し。
福の種まき、非難も意せず、苦労も厭わず。
布施の人には福があり、善行の人には快楽あり。
いつも心に仏法の喜び、始終心に禅の悦び。
観音菩薩はあなたのおそば、声に出して南無阿弥陀仏。
関連寺院、団体、道場及び組織
僧団

僧団は1980年に創立された。

編成は、都監を一人、副都監を一人おき、同時に賢首会、都監院、事務院、座禅修行普及センター、仏学普及センター、思いやりセンター、教育院、僧伽大学仏学院、事業体などの部門を設立した。これらは現在、法鼓山の中核組織となっている。

設立の主旨:仏教教団を組織し、青年僧の育成、法鼓山の理念を教え広め、よってこの世の浄土の理想を実現することにある。

この組織の主要な活動は研究と開発、各種座禅修行の推進、仏学教育、思いやりの心の教育と普及などである。法鼓山の僧団は聖厳法師を精神的な指導者とし、その創立は1977年に聖厳法師が米国から台湾に帰国し、中華仏教文化館と農禅寺を引き継いだ時に始まる。仏法を広め、将来三宝の住職となる青年僧の人材育成のために、農禅寺は1979年8月に「三学研修院」として成立した。成員はもとの訳経院の成員とかつて禅七に参加していた学生、全部で10人であった。その後、僧俗四衆の成員が増加した。

訳経院の役目が終了し、成員の中から出家を願う者も出て、「三学研修院」は次第に法鼓山「僧団」に発展した。このほか、「法鼓山世界仏教教育園区」の竣工によって、現在この中心組織も法鼓山に移った。
中華仏教文化館

中華仏教文化館は1955年に創立。

その主要な目的は仏教教育、文化と社会へのおもいやり、正しい仏法の発揚、中国伝来仏教精神の理解である。主要な活動項目は各種の共修活動、例えば地蔵菩薩法会、千仏懺悔法会、薬師如来消災法会、観音菩薩法会などである。台湾台北北投区光明路の「中華仏教文化館」は、法鼓山の発祥地である。

当初、東初和尚は光明路の公有地を租借し、1955年に文化館建設の鍬入れをし、1年後正式に完成した。文化館の創立当初は、人力と物資の不足する情況の下で、依然として仏教の文化事業の伝承と推進に力を尽くした。その中には《大正新修大蔵経》(略称《大正蔵》)の印刷事業の主宰も含まれている。更に1965年には季刊誌《仏教の文化》を創設した。

このほか、毎年二回法会を主宰した。つまり7月に1ヶ月間の地蔵菩薩法会を、12月上旬には仏七を主催し、人々に共修で心の安静の機会を提供し、同時に資金と物資の寄付を求め救済活動を行った。この後、「季の救済」は毎年実施され、文化館の一つの伝統となった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef