法隆寺金堂薬師如来像光背銘
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法隆寺金堂薬師如来像光背銘(拓本 薬師如来像

法隆寺金堂薬師如来像光背銘(ほうりゅうじ こんどう やくしにょらいぞう こうはいめい)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺金堂に安置される薬師如来像光背裏面に刻された銘文である。

題号の「金堂薬師如来像」を薬師如来・薬師仏・薬師像・薬師などとも称し、銘文の内容が造像の由来であることから「光背銘」を造像銘・造像記とも称す。ゆえに法隆寺薬師造像銘などと称す文献も少なくない[1][2][3]目次

1 概要

2 内容

2.1 釈文

2.1.1 要約


2.2 文体

2.3 書体・書風


3 造像・刻字の年代

3.1 天皇号の成立年代


4 脚注

5 出典・参考文献

6 関連項目

概要

法隆寺金堂に安置される薬師如来像の光背の裏面に刻された90文字の銘文である。法隆寺には貴重なの遺物が豊富に存在するが、本銘文は年紀を有する金石文として法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘とともに特に著名である。本銘文には法隆寺の創建と薬師如来像の造像の由来が記され、推古天皇15年(607年)の年紀を有することから、法隆寺の創建事情にかかわる基本的な資料の1つとなっている。ただし、像の制作年代および銘文の記された年代を文字どおり推古天皇15年(607年)とみなすことは福山敏男の研究以来、否定されており、実際の制作年代は法隆寺金堂「中の間」本尊の釈迦三尊像(推古天皇31年 = 623年)より遅れるものとみなされている(#造像・刻字の年代を参照)[1][2][3][4]

本銘文の文体は、釈迦三尊像光背銘文の四六駢儷文とはかなり異なり、漢文日本語化が進んでいる(#文体を参照)。従来、推古朝(在位・593年 - 628年)の当初からこのような日本語化の進んだ文章が存在していたとされてきたが、現在では否定されている。ただし、他の遺文から推古朝には日本語文が発生していたことは確かである[5][6]
金堂薬師如来像
法隆寺金堂内陣の「東の間」
[7]に安置されている薬師如来像(国宝、指定名称は銅造薬師如来坐像(金堂安置)[8])は、像高63.0cmの金銅製の坐像である。なお、本像の両脇侍とされる銅造の菩薩立像2体(重要文化財)が法隆寺の大宝蔵院にあるが、作風からみて、薬師像と本来の一具ではない[9][10]
金銅像
金銅像(こんどうぞう)とは、
で造られたの表面に鍍金(金めっき)を施したものをいう[11][12]


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