法隆寺献納宝物
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聖徳太子絵伝(部分)平安時代(献納宝物1号) 銅造如来及び両脇侍像 朝鮮・三国時代(献納宝物143号)

法隆寺献納宝物(ほうりゅうじけんのうほうもつ)は、奈良県斑鳩町にある法隆寺に伝来し、1878年(明治11年)、当時の皇室に献納された、300余件の宝物(文化財)の総称である。第二次大戦後は大部分が東京国立博物館の所蔵となっている。正倉院宝物よりも一時代古い、飛鳥時代から奈良時代前期を中心とする工芸品、仏像等を多数含み、歴史的・文化的に価値が高い。目次

1 概要

2 歴史

2.1 宝物献納の経緯と事情

2.2 「出開帳」と献納宝物[2]

2.3 宝物献納から国有化まで[5]

2.4 法隆寺宝物館の建設


3 主な献納宝物

3.1 代表的な作品

3.2 画像

3.3 国宝・重要文化財の一覧

3.3.1 絵画

3.3.2 書跡

3.3.3 彫刻

3.3.4 金工

3.3.5 楽器類

3.3.6 漆工・木工

3.3.7 陶磁

3.3.8 染織

3.3.9 工芸その他

3.3.10 考古・歴史資料



4 脚注

5 参考文献

6 外部リンク

概要

東京・上野の東京国立博物館の一画に「法隆寺宝物館」という建物がある。ここに展示保管される文化財は、紆余曲折を経て同博物館に保管されることとなったが、かつては聖徳太子ゆかりの寺である奈良・法隆寺に伝来したものである。これら三百数十件の宝物類の中には、もと法隆寺東院の絵殿にあった「聖徳太子絵伝」(国宝)、「四十八体仏」と通称される飛鳥・奈良時代の小金銅仏群をはじめ、金属工芸品、染織品、調度類、伎楽面など、多数の優品を含んでいる。宝物の中には中世、近世の作品もあるが、大部分は飛鳥・奈良時代の作品である。これらのうち、伎楽面は正倉院宝物のそれに匹敵するコレクションであり、飛鳥・奈良時代の小金銅仏群は質、量ともに他に抜きん出たものである。腐朽しやすい上代の染織品が多数残っている点も特筆される。

かつては「皇室の所有品」という意味の「御物」という語を用いて「法隆寺献納御物」と呼ばれていたが、第二次大戦後の1949年に一部を除いて国有となり、それ以後、「法隆寺献納宝物」と称されている。所蔵者である東京国立博物館では、1964年、構内に「法隆寺宝物館」を開設し、献納宝物を展示・保管・研究している。
歴史 梵本心経並尊勝陀羅尼(貝葉)(献納宝物8号)
宝物献納の経緯と事情

これらの宝物が法隆寺から皇室に献納されたのは、前述のように1878年のことである。これに先立つ1876年(明治9年)11月、法隆寺は住職千早定朝名で「古器物献備御願」という文書を当時の堺県令・税所篤(さいしょあつし)宛てに提出した。この文書に基づき、当時の日本政府は宮内卿徳大寺実則を中心として宝物の調査を行った。翌々年、1878年2月18日付けで宮内省は宝物の献納を許可することとし、法隆寺には見返りに金一万円が下賜された。1878年当時と21世紀の今日とでは社会・経済状況が異なり、金額について単純には比較できないが、当時の1万円は今日の数億円に匹敵する莫大な金額であった。

献納宝物の中には、聖徳太子ゆかりの品を含む、法隆寺にとってかけがえのない品が多数含まれていた。法隆寺がなぜこれらの貴重な寺宝を手放そうとしたのか、正確なところは不明であるが、堂宇の修繕も思うにまかせなかった当時の法隆寺の経済的苦境が背景にあったとするのが通説である。


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