法曹会
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法曹会団体種類一般財団法人
設立1891年 (133年前) (1891)
所在地東京都千代田区霞が関1-1-1 法曹会館
法人番号5010005003364
主要人物最高裁判所長官(会長)
検事総長(副会長)
活動地域 日本
活動内容法律の調査研究及び法律実務の進歩発展
活動手段定期刊行物
ウェブサイトhttp://www.hosokai.or.jp
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法曹会(ほうそうかい、1891年(明治24年) - 現在)は、法律の調査研究および法律実務の進歩発展を目的とする任意団体の一つ。2013年からは一般財団法人である。
概要

1891年(明治24年)9月、児島惟謙らが法律研究の任意団体として発起した。構成員は司法省の官僚や法曹で、機関誌として『法曹記事』、1923年(大正12年)からは『法曹会雑誌』を発行した。1930年代は教育機関も兼ねており、柔道剣道大弓ゴルフテニスなどのスポーツ奨励活動を行った[1][2]

戦後は民間の任意団体として全国に支部を展開し、機関誌として『法曹時報』を発行しているがその他の活動は殆ど公表されていない。
組織

組織の目的は「平成までは公法調査委員会、財産法調査委員会、身分法調査委員会、民事手続法調査委員会、刑事法調査委員会を擁していたが、これらの委員会は竹ア博允会長時代の2016年(平成28年)に消滅し、以後は単一の調査委員会が置かれている。

役員は原則無報酬とされており(定款第26条)、現役裁判官、検察官、弁護士など法曹三者が名を連ねる。最高裁判事などの司法官僚や行政官僚に任命される人物も少なくない[3][注釈 1]
法曹会館

本部の法曹会館は、法務省赤レンガ棟、最高検察庁東京地方検察庁公安調査庁と同じブロックにあり(東京都千代田区霞が関1-1-1)、車道を挟んで皇居に面している。法曹会発行の書籍販売所のほか、レストランや催事場が備わっている[4]
沿革

1891年(明治24年)- 9月、
児島惟謙らが、法律研究の任意団体として発起した。月刊論文誌である『法曹記事』を刊行し始め、法曹会による法令解釈を「本会の決議」として掲載していた。


1908年(明治41年)- 12月24日、財団法人として登記。時の会員種別には、司法部内準会員、司法部外準会員などが設けられていた。「男爵南部甕男、法学博士横田国臣より寄付したる法曹会現在の動産不動産及預り金の一切」が財団の資産であった。


1923年(大正12年)- 4月、会長の平沼騏一郎が、月報を『法曹会雑誌』(1巻1号)と改題し、新たに刊行開始。それまでの「本会の決議」は「法曹会決議」と改題され、大審院判決集にも収録されるようになった。会費は値上げされた。当時の住所表記は、東京市麹町区(西日比谷町1)であった。


1936年(昭和11年)- 2月、現在の法曹会館が竣工[注釈 2]。1938年には会員用に、医学博士と医学士を招聘した診療所を設立[1]司法省は同年、ナチスの法制及び立法綱要の翻訳書を刊行。


1945年(昭和20年) - 12月、1930年代の植民地法制を研究した「原住民司法論集」(環昌一内藤頼博ほか訳)が司法省から刊行。

1949年(昭和24年)- 連合国軍の日本占領期の下、『法曹会雑誌』の法曹会決議は廃止[注釈 3]。4月にはタイトルが『法曹時報』に改題された。


1950年(昭和25年)- 2月、『法曹時報』に「法曹会決議」が復活する。


2006年(平成18年)- 財団の資産総額が26億1千万円を超える[5]


2013年(平成25年)- 1月、財団から一般財団法人へ移行。


2014年(平成26年)- 12月、代表理事の一人に竹崎博允が再任。


2016年(平成28年)- 7月、代表理事の一人が菅野雅之から平田豊に交代。9月、評議員の一人に黒川弘務が就任。

2018年(平成30年)- 2月に代表理事の一人の竹崎が退任し、5月に寺田逸郎が就任。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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