法政大学短期大学部
かつて短期大学部が併設されていた法政大学第二中・高等学校。写真は、シンボルともいえる時計塔校舎。1936年11月に法政大学予科の校舎として建立されたことに始まる。
大学設置/創立1950年
廃止1985年
学校種別私立
設置者学校法人法政大学
本部所在地神奈川県川崎市中原区木月大町164[注釈 1]
学部商経科第二部
商業専攻[注釈 2]
経済専攻[注釈 2]
電気通信科第二部
機械科第二部
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法政大学短期大学部(ほうせいだいがくたんきだいがくぶ)は、神奈川県川崎市中原区木月大町164[注釈 1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、1985年に廃止された。大学の略称は法政短大。
概要
大学全体
神奈川県川崎市中原区に所在した日本の私立短期大学で、設置主体は学校法人法政大学[注 1]。
国内で最初に認可された短期大学149校[注 2]の1校として、1950年に2学科体制で開学した[3]。その当初より、商経科と工学科の2学科を擁して夜間授業を行っていた。
1970年前後からの財政赤字問題、工学科の定員割れ、商経科での4年制大学への編入学目的の入学者の増加により、勤労学生に教育機会を提供するという開校当初の目的は果たせなくなったとして、1980年度の入学生を最後に[注釈 3]、短期大学としての使命を終える[注釈 4]
学風および特色
法政大学短期大学部は、京浜工業地帯の中心に位置することから、開校当初は日中そこにある各企業で働きながら夜間学問に勤しむ人が多かった[注 3]。しかし、1978年12月の調査によれば、短期大学部における勤労学生の比率は23.4%に過ぎず、実質的には4年制大学への編入学目当ての予備校的存在と化していた[10]。
当時の入学試験について
商経科は国語・英語・社会、工学科(機械科と電気通信科)では英語・国語・数学が課されていた[11]。
沿革
1949年
10月 文部省[注釈 5]に短期大学[注 4]の設置認可に関する申請を行う[注 5]。なお、学科・専攻は以下の通りとなっている[注 6]。
商経学科第二部
商学専攻 入学定員150名
経済学専攻 入学定員150名
工学科第二部
電気通信工学専攻入学定員100名
1950年
3月14日 左記を以て短期大学の設置が文部省[注釈 5]より認可される[17]。上記の通りと変更なし[18]。
4月1日 左記を以て法政大学短期大学部が以下の学科体制にて開学する[注 7]。
商経学科第二部
商学専攻 入学定員150名→120名
経済学専攻 入学定員150名→120名
工学科第二部
電気通信工学専攻入学定員100名→80名
商経科
経済専攻
商業専攻
工学科
電気通信工学専攻
1954年
5月1日 学生数[21]/定員