法政大学府中寮
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法政大学府中寮(ほうせいだいがくふちゅうりょう)とは、東京都府中市北山町3-15-7に所在し、法政大学が所有していた学生寮で、学生による自主管理・自主運営がなされていた自治寮である。

建設から40年以上が経過し、建物の老朽化などの問題で、2009年度末をもって廃寮した。
年表

1965年 学費値上げ反対運動を闘った多くの学生の要求によって「法政大学府中学生寮」建設。 ⇒法政大学HP参照

法政大学は府中市に広大な土地を所有しており、この一部を府中寮にあてた。なお府中寮東側の土地はのちに東芝に売却している。敷地は広く第二寮(増寮)の動きもあった。寮建設時は、工学部1年生のみの入寮規定があった。       

1971年 寮監追放により、学生による自主管理・自主運営が開始(このころから法政大学府中寮と称するようになる) 11?26 寮生大会において寮監制度廃止・残寮生増員・寮管理運営委員会への発言権を圧倒的多数によって決議。 11?29 寮運委は我々の参加すら認めず、残寮生増員を拒否。 12?2 対J学生部長、厚生課長・S教授団交でも我々の寮生増員要求を一切認めず、更には寮運委での怠慢詐欺が暴露された。 12?4 寮生大会において残寮委員会が商承認され発足。 12・6 残寮委員会は寮監に対し退寮勧告を提出し、大学当局に寮監制度廃止勧告と寮運委への参加発言権要求を行う。 12・7 再度、大学当局に対して三項目要求を行う。 12・8 事前に会議室を占拠し、寮運委のメンバーと討論会を開く。残寮委は三項目要求を行うが、昨日同様原則慣行に個室し全く進展なし。一応、我々が退室し、寮運委を開かせた。明日、三項目に対する回答を行うことを確約させる。 12・9 当局は昨日の寮運委で審議された我々の要求に対する回答を行う。@寮監制度を廃止し建物の管理人を置きたい。A残寮制度の意義に基づき、18名を認めるが、現2年生の残寮は認めない。B寮運委への参加、発言権は認めない。学生部との話し合いでカバーできる。それと共に、13日午後6時本校において団交を持つことを約す。 12・10 残寮委で今後の問題を討論する。管理人に対する拒否権獲得、寮運委解体。この頃大学内において学費問題が焦点となる。全共闘は大衆団交の予備折衝で大学と緊張状態になる。 12・11 寮ホールにおいて、寮問題の自由討論会を開く。 12・12 寮の現状に関するビラを本校の門で学生に配る。 12・14 13日に予定された団交が当局の事情で中止された事を追及するため大学に結集し、S次長を捕まえ、明日1時に団交を行う事を確約さす。 12・15 3項目要求(今までとは異なる)を大学に提出する。 12・17 学費値上げに関する全共闘の大衆団交で、M寮監からJ学生部長に宛てた残寮希望者に対する素行・思想調査書を全学友の前で読み上げ、学校当局を糾弾。 12・20 残寮委において食道問題が焦点となる。資料集め。

1972年 1・20 残量委員会。黒部食品が辞める可能性濃厚。生協に頼むか、学校の職員化を押し進めるか、また我々自身による職員化運営の可能性を検討する。入寮選考をどうするか同時に検討。 2・5 残量委員会。入寮選考ー完全単独入寮選考を圧倒的に決定。対象を『一部二部一年時生』とする。 2・12 本日残寮委員会より執行部4名と本校で、2月14日「12・15の3項目要求」に対する理事との会見を持ちたいとの学校側からの要請あり。 2・14 我々はボス交を拒否する旨を学校側に通告。学校側は我々の要求通り理事とのボス交を取り止め、執行部4名と厚生課との話し合いを69年館で持つ。本校はロックアウト、検問体制。 学校側の食堂に対する見解 ・職員化は不可能。黒部食品は4月以降、朝夕それぞれ十円の値上げ。 ・47年度助成金、予定50万円 自主管理に関して、明日1時までに自主管理の具体例を出して欲しいとのこと。我々は黒部食品との契約を破棄し、食堂の自主運営を宣言する。 2・15 学校当局に対して自主管理の具体例を出す。 一、食費、共益費、寮費の独立会計 一、コーラ、電話の独立会計 一、学校の派遣する職員の拒否権獲得 2・20 入寮生募集のステッカー貼り。入寮募集の情宣開始。入学試験始まる。朝7時30分情宣出発。 2・28 寮ホールにおいてS次長・K課長・S氏と話し合い。 自主入寮選考について  学校側は残寮制度の意義からいって、残寮生は18名に限るので、入寮人員の109名を110名にせよ。また対象は二部1年時生は認めない。 学校側は話し合いをすると言いながらその一方で、一部合格者に次のようなビラを入れた事を公言し、学校の話し合い(民主主義)が口実でしかなかったことが暴露された。「入寮について…大学は都合により寮の使用については検討中なので追って通知します。法政大学」 3・1 S教授、S氏、話し合いに来る。S教授「現二年生の残寮及び二部一年生の入寮を取り下げない限り大学当局は機動隊を導入してでも寮を閉鎖する強硬策に出る空気になっている。これに対して私は寮生との十分な話し合いもなしにこのような態度に出るのは良くないと考え、学校側から1週間の猶予をもらいに寮にきた。寮生の要求は、自主管理運営の問題、増寮の問題の2点に集約される。自主管理とは何か具体的にする必要がある。寮閉鎖までもたらしたのは執行部の責任である」 残量委員会「学校側は、機動隊導入→寮閉鎖と意外に強硬であり、現在寮生が少なく、全共闘も動きが取れない状態であり、力関係からいって敗北は必至である。そこで我々は、二部生を対象から除くことで全面対決を避け、4月移行新入生が入寮した時点から増寮闘争を進め、二部の諸君に応えていく」 3・2 S教授再度訪寮。学部長会議において学校側に次の7点に関する検討の要請を約す。@交渉期間の設立 AYさんの残寮 B食堂(食費の独立会計、代理徴収) C学校の派遣する職員に対する拒否権 D増寮 E寮費の支出に問題あり F寮費の独立会計 3・6 食堂問題の解決を迫る 3・12 四寮(法中明専)月齢連絡会議を明大生田寮において開催。7 ・自治寮の位置づけと自治運動について ・寮の機関紙を発刊し情報交換等を行い、新寮運動を創り出そう 3・13 食堂従業員募集開始 3・14 入寮選考開始 3・17 K厚生課長、S氏来寮 食堂問題を指摘。学校側のビラにより入寮願書が減少。「学校側との緊張をとけ云々」という文書を入寮希望者に葉書で通知。 3・18 S教授学部長会議の結論を持って来寮 @交渉期間の設立 AYさんの退寮は強制しない B増寮は不可能 Cその他のことは交渉機関を通じて又は厚生課と交渉して欲しい。 3・21 厚生課に食堂の援助費準備金・冷却機その他色々を要求しに行く。 3・23 総括討論集会 4・2 食堂問題はこの時点において失敗のもよう。この頃K厚生課長が寮管理人の職務内容(6項目)を理事会に提出し承認されたことが明確になり我々寮生無視の姿勢が再度暴露。 4・3 本年度の入寮希望者不足。当局は入学式の当日に案内の配布を通知。 4・6 入寮案内の配布が学生部の怠慢により配布できず。明日配布を懇願。 4・7 当局がやっと入寮案内6000枚を配布する→継続募集始まる。 4・15 継続募集終了。第一回寮生大会成立(61名) 決議@食堂の職員化要求 A再募集 BY氏の残寮断固支援 4・21 1年生を含む新執行委員会選出 4・26 執行委員会、学生部に@食堂職員化要求、A交渉期間について学生部の説明を求める。 回答@について「大学側は職員を合理化する方向ー人事政策なので職員化は考えられない。業者は毎年値上げするが、賃金・物価・材料費の値上げは仕方がない」Aについて「3月までの寮管理運営員会は第一教養部と工学部の教授であったが、今度の交渉機関は全学部から選出する」 5・2 寮ホールにおいてS次長との話し合いを持つ。@職員化は至急検討する。A管理人の職務内容は寮生と協議の上決定する。B学生部長が決定すれば至急寮に来る。 5・10 5・2のAに従い寮自から、管理人の職務内容を学生部に提出する。 5・11 中大代々木寮との連絡会議。A君が代表として出席。 5・17 寮生大会 方針を圧倒的に可決 一、再募集、増寮 一、食堂職員化要求 一、寮監制度完全撤廃 一、大学側の派遣する職員に対する拒否権要求 5・19 55年館前で寮生集会及び追求集会。K理事長、S次長他、寮生30名結集 5・20 学校側と自治会室にて話し合い。当局ー再募集はやめて欲しいー法的に適当な措置を取ると暗に機動隊導入で恫喝を告げる。 5・22 再募集開始 5・24 55年館前で追求集会ー寮生40名。法的措置について等追求 5・30 工学部にて集会 40名結集。工学部自治会、救対よりアピール、その後学内デモ 6・2 S次長 一、二年生少数の入寮なら黙認することもありうるとF委員に明言。 8月後半?9月中旬 寮より相模原戦車輸送阻止闘争に有志数名?数十名連日参加。テント内での泊まり込み貫徹。最先頭で闘う。 10・9 食堂開始 10・15 寮生大会 一、職員に対する拒否権 二、寮費のうち学生寮費の廃止 三、入寮対象の拡大(一部二部全学生・院生含む) 12・3 10・15に対する総括 一、についてー失敗 二、についてー失敗 三、についてー実質的に獲得の方向性あり。当局一部二部一・二年生の妥協案。 本日にて執行部解散 12・14 後期執行部選出 方針 ・入寮対象者全学部全学年 ・学館設立委員会を活用して学校との交渉の道を開く ・情宣部の設立 事務局員が寮生の行動を監視するそぶりが見える。事務員がこのような行動をしてた場合、実力で追い出す。

1973年 2?3月 各学部入試、合格発表時に新入寮募集のビラを1万枚以上配布する。及び入寮願書も配布ー当局一切口を出さず。実質的な入退寮権を自らの行動で勝ち取る。退寮権行使。 2・23 K理事と会見し、3・4年生の残寮を認めさせる。 2・28 当局との団交により実質的に入退寮権を獲得。 4・15 定例寮生大会 闘争方針 一、増寮要求の徹底化 二、文章化における入退寮権の獲得 三、寮管理運営委員会の解体 四、食費と寮費分納の要求と並行して寮費の削減化要求 五、学生会館学生連盟へのオブザーバー参加申請と学館闘争支援参加、規約改正ー保留 4・24 本年度第一回の学生会館学生連盟暫定総会にて満場一致で承認される 5・2 学生部へ4項目要求を提出。7日に出さず12日に伸ばす。 5・8 正午55年館前にて寮生100名が結集。4項目要求を大衆的にアピールするとともに寮として学館闘争に積極的に参加してゆく事を表明。学内デモ。学生部へ行き本日付で学生部長に就任したばかりの前文学部部長のHを引き出し追求。 5・9 寮管理運営委員会に時間制約を受けながらも許可され執行部数名出席。S次長の欺瞞が暴露。 5・12 当局回答を出さず、さらに19日に延期を一方的に通告。 5・19 当局回答を出さず、さらに23日に延期を一方的に通告。 5・23 回答あり。だがその内容は寮生の意向を全く無視したものであり、回答の際説明が一切なされずH学生部長は逃亡。講義のための集会を25日に打つ意向を伝えると25日逃亡を我々に告げる。 5・31?6・2夜間ロックアウト粉砕の泊まり込み。学館単独自主管理完徹闘争に全学のべ1200名参加ー寮も参加。自治会・寮闘委のアピールを送る。 6・3 臨時寮生大会 K執行部誕生 方針 一、寮闘争の学内への情宣 二、4項目要求の継続追求 三、学館闘争への支援参加 四、寮内部の情宣と討論の徹底 6・6 11日に55年館前で決起集会、12日に泊まり込み闘争への参加方針を打ち出す。 6・7 執行委員会にて前日の方針を確認 6・11 学館完成。夜から泊まり込み闘争。全学総決起集会に参加。 6・19 全都からかき集められた日共=民青同盟員の本校武装襲撃に本校に情宣に行っていた寮生が襲われ十数名の重軽傷者を出す。 6・21 対総長団交中止にあたって本校舎正門前10時に行う全学総決起集会に寮自として参加する。その日にロックアウトを粉砕し寮生1名不当逮捕される。 6・25 学内ロックアウトに対する抗議集会を本校で行う。 6・28 対学生部次長団交席上にてS次長暴言を吐く。いわく「寮がなければよかった」「寮がなければこのような問題は起こらなかったのに」自治会としてはこのような暴言を断固として批判し、S次長からの自己批判をとる。 10・28 対総長断行勝利に向けての寮総決起集会を開く。 10・29 同日3時に55年館前で一千人集会、四時半からデモ出発。 11・13 対S・S団交に寮自として出席し、引き続き14日にかけての泊まり込み闘争において寮生十数名を含む74名全員が逮捕される。その時救援活動を行なっていた寮生が国家権力=機動隊に襲われ1名の重傷者を出す。 11・15 前日の不当逮捕に対し寮闘争委員会の総力を持ってお茶の水駅頭において全学共闘会議の諸君とともにビラまきを貫徹した。

1974年 6.13 寮管理運営委員会の必要性、寄付金の問題等々、学生部が寮ホールにきて寮側と会見する。 7・3 寮管理運営委員会との団交がおこなわれ入退寮権をはじめとする種々のもんだが話し合われる。 10・14 寮費未納者に対して卒業事務を行わないとの決定に対してK工学部長への糾弾闘争が行われる。 10・21 Y元経済学部超糾弾闘争行われる。 12・4 Y糾弾闘争行われる。

1975年 1・29 対学生部長会見が行われる。 2?3月 寮敷地内に合宿所を建てる等の情報が非公式に入る。 3・7 入試弾劾闘争において日共=民青、国家権力一体となった挑発により、寮生4名が不当逮捕される。 4月 合宿所建設に関し学校から通告がある。それに抗し我々は敷地内の建設を増寮運動の立場から反対する事を通告する。 4?6月 Oホッケー部長、保健体育部長との話し合いを続ける。その場で寮側の主張を伝える。又体育会学生とも話し合う。 8・5 ホッケー部一方的に工事を開始するが寮生の行動により工事不可能になりしばらく中止。寮生のいない時期のため、寮自が満足に行動できない点を補うため、法政大学府中学生寮軍事委員会が発足する。 8月中旬 工事再開、寮自が中止を勧告。寮に人がいないため決定権がなく9月中旬まで待つよう交渉したが話がまとまらず、盆休み等でしばらく工事が中断する。 8月末 S学生部長代理、Oホッケー部長が工事関係者を引き連れ工事を始める。寮自側が抗議するがO部長が「お前らは関係ない」等今までの話し合いを一切無視する発言をする。 8月末?9月 その発言に対して寮軍事委員会が夜な夜な襲撃を繰り返すようになる。それ以降、日夜ガードマンが合宿所建設用地周辺に出没するようになる。軍事委の諸君はそのガードマンと投石戦を行なったようであるが、寮自としては具体的な反撃態勢を取れなかった事を自己批判的に総括しなければならない。


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