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この項目では、学問分野について説明しています。ヘーゲル著『法哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts、1821年)については「法の哲学」をご覧ください。
法哲学(ほうてつがく、英: Philosophy of law、独: Rechtsphilosophie)とは、法に関して、その制定および運用や様ざまな人の法観念・法感覚、また、法現象とよばれる社会現象等に視点をあてて、哲学的に、平たく言えば、既存の諸概念にとらわれることなく考察する学問分野である。そのため、具体的な内容について研究者間の見解の相違が大きく、法の一般的定義は困難となっている。 法哲学という用語は、ドイツ語の Rechtsphilosophie の訳語として使用されはじめたものであり、主にヘーゲル以後に一般化したものと考えられている。しかし、法に関する哲学は、すでに古代ギリシアのソクラテスの実践知に始まり、その後のプラトンやアリストテレス、また、ソフィストにおける弁論術にも見られる[1]。 日本では、法哲学との呼称・表記のほかに伝統的な法理学(ほうりがく)との呼称・表記を用いることもある。伝統的に法哲学の研究が盛んな京都大学などでは現在もこの名称が用いられる[注 1]。 よくみられる主張としては、実定法学が実定法(positives Recht、現に存在する法)を対象とするのに対して、法哲学は、あるべき法ないし正しい法を探求する学問である、というものがある。しかし、法哲学が法価値論(以下で詳述)のみを対象としていた時代にはそのような考え方も成り立っていたが、現在では法哲学の対象が広がっているため、「あるべき法を探求する」というのも一つの立場からの考え方に過ぎないことに注意が必要である。したがって、現代では、法哲学について多様な捉え方がある。これについては、例えば、牧野英一の広範な著作は、その全目録自体にひとつの法哲学体系が示されており参考となろう。また、このことからも分かるように、実定法学者の解釈的見解と法哲学とは、全く別個で無関係なものではなく、シラバス上の様々な目的から別に講義されるということである。ただ、ハーバート・ハートの『法の概念』に代表されるように、法への巨視的考察を採る立場からの限定的内容の講説が支配的である。 次にあげる法本質論とその他の4つに大別され、独立した形で論じられることは多い。このうち、法本質論は論者のセンテンスに投影される程度で表面化せず、法観念論と法意味論がいわゆる狭い意味の法哲学であり、『法哲学』等題する書物の中には、法観念論のみを扱うものもある。なお、これら4つは相互に関連した内容を含んでいる。現代では、一方において法制度の運用を推進し、他方において法制度を変遷および崩壊させる可能性のあるコンピューターシステムに左右されない法理論が求められており、法価値・形式法論理それぞれに胚胎される内在的・外在的な法認識とその結合の法技術理論への関心が持たれはじめている。これは、平たく言えば、さまざまな法価値の組み合わせ理論とその実体的形式性の問題関心である。
概要
研究対象
法本質論
法の規範化・対象化について、一般論を行うものである。前者・後者ともに人的内面性および行為(性)が扱われるが、研究者間で最も見解の分かれるもので多様である。多様の点については、かつて、矢部貞治が指摘した政治学は研究者の数だけ存在するというものと同様である。
法観念論
法について、現実の制度を必然的前提とすることなく、さまざまな立場から、理念的な面にも及んで、一般論を行うものである。
法価値論
「法はどうあるべきか」という当為を問う分野である。法の中心的価値である正義の問題(正義論)や自然法の問題を扱うものであり、法哲学の問題領域としては最も古い。
法概念論
「法とは何か」という存在を問う分野である。法・国家・権利などの基本概念の定義や相互の関係、法秩序の構造に関する考察を扱う。
法意味論