法の書
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この項目では、アレイスター・クロウリーが著した聖典について説明しています。イラン映画については「法の書 (映画)」をご覧ください。
『法の書』

『法の書』(Liber AL vel Legis[1]: The Book of the Law)は、1904年にアレイスター・クロウリーが著したセレマの根本聖典の通称である。正式な表題は Liber AL vel Legis, sub figura CCXX。Liber AL (『エルの書』) 、Liber CCXX (『二百二十之書』) とも表記され、AL と略される。

本書は1904年4月8日から4月10日にかけてクロウリーが受信したメッセージを筆記したものである。そのメッセージの主は、クロウリーが後に自身の聖守護天使とみなしたアイワス (Aiwass) なる知性体とされる。
経緯

1903年、ローズ・イーディス・ケリー(英語版)と結婚したクロウリーは、旅先のセイロンで妻の妊娠を知り、急遽イギリスへと帰国することにした。その途上、1904年2月に立ち寄ったエジプトカイロで『法の書』が書かれることとなる。

3月14日、クロウリーは妻に魔術を見せてやろうと、あるアパートの一室でシルフ召喚する儀式を行った。しかしシルフは現れず、その代わりにローズが神懸りの状態になり「彼らは貴方を待っています」と告げた。何かがあると直感したクロウリーはそれからも儀式を継続して行い、4月8日の正午のホルス召喚の儀式の後、ついに「声」がクロウリーに「書」を告げ始めた。

以上のことはさまざまな書物に記されていることであり、ここでは特に、日本で公刊された国書刊行会版の『法の書』に掲載されている文章を引いた。
口述者

『法の書』を伝えた「声」の主はアイワスという名の“超人間的知性体” (praeterhuman intelligence) であったとされる。アイワスの名は『法の書』第1章7節でホール・パール・クラートの使いとして言及されている。クロウリーは『神々の春秋分点』の中でアイワスの声について次のように述懐している。

「アイワスの声は部屋の奥の隅から左肩越しにやって来たようであった。それはわたしの肉団心の中で曰く言い難いとても奇妙な仕方で反響しているように思われた。…わたしはその話し手が、薄紗か香煙の雲のように透けて見える「精微な素材」でできた身体として実際に〔部屋の〕隅にいる、と強く感じた。かれは年の頃三十代、引きしまった体つきの、精悍かつ剛健な背の高い浅黒い男で、残酷な〔もしくは蛮族の〕王の顔つきをしており、目にしたものを眼差しで破壊してしまわぬように両の目は覆い隠されているように見えた。その装いはアラブ人のそれではなく、きわめて漠然とではあるがアッシリアかペルシアを思わせた。」[2]
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この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2012年12月)

この書物の内容はきわめて難解なものであり、筋道立って語られたものではない。

有名な文言「汝の意志することを行え、それが法の全てとなろう」に代表されるように、キリスト教的倫理観を排斥し、自己の内なる意志をさらけ出すべきだと主張している。この一節はよく勘違いされるが、クロウリー自身が「何でも好き放題やれということではない」と明確に語っている。「神」の命令や道徳律に盲目的に従うことを怠惰な道とすれば、むしろこれは、自らの「真の意志」の実現に向かって厳しく自らを律し自ら道を切り開いていく難行と見ることもできる[3]。日本語記事としての理解しやすい喩えでは、の精神、さらには釈迦の最後の言葉である「自灯明」の進化系とも言える。

また、クロウリーはキリスト教(特にプロテスタント)を奴隷の宗教として憎悪していたとされるが、『法の書』の第3章にも聖母マリアマホメットを辛辣に攻撃している部分がある。暗示的・隠秘密的な表現によって成り立っているものも多いクロウリーの著述において、かかる文章を表面的に解釈して直接的な意味に取ることは推奨されない。


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