法と正義
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ポーランド政党法と正義
Prawo i Sprawiedliwo??(PiS)
党首ヤロスワフ・カチンスキ
成立年月日2001年6月13日
セイム議席数161 / 460   (35%)(2023年10月15日)
セナト議席数29 / 100   (29%)(2023年10月15日)
欧州議会24 / 705   (3%)
政治的思想・立場右派
キリスト教民主主義
国民保守主義
社会保守主義
EU懐疑主義
ナショナリズム
中央集権
保護貿易
国際組織欧州保守改革党
欧州保守改革グループ
公式サイトPrawo i Sprawiedliwo??
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法と正義(ほうとせいぎ、Prawo i Sprawiedliwo??)は、ポーランド政党党首ヤロスワフ・カチンスキ。略称:PiS(ピス)。
歴史2019年総選挙における政党支持分布(郡別)。中部から東部にかけた地域でPiS支持が強いことを示している。
KO=市民連立[1]
PiS=法と正義
SLD=民主左翼連合
PSL=ポーランド農民党

1990年5月に結成された中央同盟(PC)を前身としている。その主要メンバーだったレフ・カチンスキとドルン(Ludwik Dorn)が中心となり、2001年4月13日にPiSが結党された。同年に行われた議会選挙では、セイムで得票率9.50%、44議席を獲得した。「すべての人に公正な第4共和国」[2]をスローガンに掲げ、コマーシャルメッセージインターネットを駆使した選挙活動を行なって支持を拡大、セイムにおいて得票率26.99%で155議席、セナトでも49議席を獲得し、第一党に躍進した。選挙後、保守政党であるポーランド家族連盟(LPR)と自衛(Samoobrona)の協力を得て、マルチンキィヴィチを首班とした連立政権を発足させた。

2006年5月からはLPRとSamoobronaの正式な連立政権が発足したが、Samoobronaの党首であるレッペル(Andrzej Lepper)の汚職問題をきっかけに、連立政権内で対立が生じ、2007年8月にPiSはLPRとSamoobronaとの連立解消を宣言、9月には民主左翼連合(SLD)が提案した議会解散決議に賛成票を投じたことで議会が解散され、総選挙が行われた。選挙では、得票率32.11%、166議席を獲得し、結党以来最多議席を獲得したが、POがセイムで200議席以上を獲得したため、POとポーランド農民党(PSL)による連立政権が発足したことで、PiSは下野することになった。

再びカチンスキを首相候補に立てて臨んだ、2011年10月の議会選挙では、得票で前回比2%減、議席数で前回比9議席減で第2党に留まり、政権を奪還することはできなかった。また選挙後、党内改革の必要性を訴えていたジョブロ欧州議員など3名が党を除名されたことに反発し、欧州議員らに同調する党所属の下院議員16名と上院議員1名が集団離党し、議員クラブ「連帯ポーランド」(SP)を結成した[3]

2013年8月に行われた党大会で党首選挙を実施、唯一の立候補者であったヤロスワフ・カチンスキが無投票で党首に再選された[4]

2014年5月の欧州議会議員選挙では19議席(得票率31.78%)を獲得、同じく19議席を獲得したPO(得票率32.13%)と並んだが、得票では僅差でPOに次ぐ二位となった[5]。同年7月、2015年秋に予定されている総選挙において、PiSと同じ右派政党であるSPや「ポーランドと共に」(PR)と共通の候補者リストで選挙に挑むことで合意した[6]。結果、PiSは圧勝し8年ぶりとなる政権奪還を果たした。

なお、10月13日に行われた2019年総選挙でPiSが勝っている地域は、首都ワルシャワと周辺を除く東部地域に多い。これは、ポーランドの東西地域の経済格差により、ドイツチェコに隣接する西部地域より経済発展が遅れているため、東部地域へ補助金支給などを積極的に行うPiSへの期待の高さより、東部地域有権者が多く支持するからである[7]
政策
理念

国民保守主義ナショナリズムを標榜し、キリスト教民主主義のうちでもより保守的な傾向がある明確なカトリック右派政党である。社会的・経済的にとりわけレデンプショニズムの色彩が強く、政敵と徹底的に対決し勝利することによって理想を実現させようとする傾向にある。また、党創設者でもあるヤロスワフ・カチンスキ党首の意向は絶対である。教育程度や所得の低い層や高齢者から高い人気を得ている。典型的な保守政党であり、ノーラン・チャートでは左下の大衆主義にあたる。

南部の街オポーレドイツ系ポーランド市民が長年享受している政治的・社会的な「民族特権」のこれ以上の維持については明確に反対の立場を採り、こういった特権を廃し一般のポーランド人としての通常の権利を賦与すべきだと主張しているが、ドイツ国営国際放送ドイッチェ・ヴェレはこれをもってこの政党が排外主義的で反ドイツ的な「国粋主義レトリック」を用いる政党と解釈をした報道の仕方をしている[8]
大統領制への移行 

政治制度を現在の議院内閣制から、大統領が自由に法案を提出し、議会が反対しても大統領の一存で法律を成立させられる大統領制へ移行することを主張している。同党の最大のライバル政党である市民プラットフォームはこれに強く反対している。
脱共産化による民主主義

脱共産化による民主主義を主張しており、共産党時代1945年?1989年)の遺産の除去や、国外の政治勢力と連携した共産主義への取り締まりに積極的である。

共産党時代に内務省人民部などと通じていたものを、社会から全て追放するための政策を多く打ち出している。そのため、与党時代(2005年?2007年)には数多くの政府組織を立ち上げた。下野した後も、2009年には「共産主義の標章を禁止する法案」を提出し、これが可決された[9]
伝統的な価値観にもとづいた社会政策


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