泉福寺_(国東市)
[Wikipedia|▼Menu]

泉福寺

所在地大分県国東市国東町横手1913
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度34分38.8秒 東経131度40分14.7秒 / 北緯33.577444度 東経131.670750度 / 33.577444; 131.670750座標: 北緯33度34分38.8秒 東経131度40分14.7秒 / 北緯33.577444度 東経131.670750度 / 33.577444; 131.670750
山号妙徳山
宗旨曹洞宗
文化財開山堂、仏殿、宋版宏智録(重要文化財)
境内(県史跡)
法人番号2320005004680

テンプレートを表示

泉福寺(せんぷくじ)は、大分県国東市国東町横手にある曹洞宗寺院。山号は妙徳山(みょうとくさん)。国の重要文化財の開山堂と仏殿で知られる。境内は大分県指定史跡
概要

永和元年(1375年)に、大友氏の一族の田原氏能が、母の発願によって無著妙融禅師(むちゃくみょうゆう)を開山として創建したと伝えられる。天正9年(1581年)にはキリシタン大名である大友義鎮(大友宗麟)による焼き討ちに遭い、開山堂、仏殿(大雄殿)のみを残して講堂等を焼失した。その後、慶長10年(1605年)に当時中津藩主であった細川忠興によって再興され、江戸時代には九州曹洞宗の総本山として栄えた。

国東六郷満山霊場第三十二番。宇佐神宮六郷満山霊場第二十三番[1]
文化財
重要文化財(国指定)

泉福寺開山堂(附 開山無著和尚墓塔)
1933年1月23日指定。
応永年間(1394年-1427年)に開祖無著禅師の墓の覆屋と礼堂を兼ねて造られたもので、墓と木像が安置されている。現存する建物は寛永13年(1636年)に古材を用いて再建されたものである。

泉福寺仏殿
2001年11月14日指定。大永4年(1524年)建立。九州では希な室町時代後期の禅宗様仏殿。大雄殿とも呼ばれる。

宋版宏智録(そうはんわんしろく)6冊
1995年6月15日指定。代の曹洞宗の代表的禅僧宏智正覚の語録で、道元が持ち帰ったと伝えられている。
県指定史跡

境内

関連項目

大分県指定文化財一覧

脚注^宇佐国東半島を巡る会(宇佐神宮六郷満山霊場一覧)

外部リンク

国東市ホームページ・横手地区(泉福寺)の文化財


宇佐国東半島を巡る会(泉福寺)

典拠管理データベース

VIAF


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:5599 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef