泉町
町丁
出井の泉公園
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分02秒 東経139度42分03秒 / 北緯35.767092度 東経139.700733度 / 35.767092; 139.700733
国 日本
都道府県 東京
特別区 板橋区
地域志村地域
人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1])
人口3,424 人
世帯数2,084 世帯
面積([2])
0.160784918 km²
人口密度21295.53 人/km²
郵便番号174-0055[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート板橋
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泉町(いずみちょう)は、東京都板橋区の町名[5][6]。丁目の設定のない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。 板橋区の東部に位置する[5]。北で大原町、東で蓮沼町、南東で清水町、南で宮本町、西で前野町と隣接する。町域の東辺を国道17号(中山道)が通じている。首都高速5号池袋線は当町域で中山道の上から離れ、町域中央部をほぼ東西に貫いている。一部に工場が点在するほかは、ほぼ全域が住宅地である[5]。 武蔵野台地成増台の台地に属する。前野町から泉町にかけて形成されている志村地区崖線(がいせん)後背部谷戸地形の東端、頭部分に相当し、首都高速道路の高架橋は谷に沿って建設されている。志村・前野町地域では急峻な高低差が見られるが、当町域では谷が浅くゆるやかな勾配地形をなしていて、谷は中山道に突き当たる部分で台地に吸収される。出井の泉公園付近は窪地で、急峻な高低差が見られる。 廃藩置県実施前は、武蔵国豊島郡前野村および小豆沢村。一帯は中山道の街道筋に点在する小集落であったと考えられる。
地理
地形
歴史
沿革
1602年(慶長7年):徳川家康の命により、中山道が整備される。
1871年(明治4年):浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡前野村および小豆沢村となる。
1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字前野および大字小豆沢となる。
1923年(大正12年):王子(王志とも)乗合自動車商会(後に中山道乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、王子駅 - 志村戸田橋間の路線バス事業を開始。
1930年代には、他に板橋乗合自動車(後に東都乗合自動車、戦後は国際興業バスに統合)が巣鴨駅 - 志村兵器庫(現在の北区西が丘・国際興業バス赤羽営業所付近)の路線を運行していた。
1929年(昭和4年):志村第一尋常小学校(現・板橋区立志村第一小学校)開校。
1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村清水町および志村小豆沢町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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