いずみ ピンこ
泉 ピン子
2019年12月13日、旭日小綬章伝達式にて
本名武本 小夜(旧姓:江口)
生年月日 (1947-09-11) 1947年9月11日(76歳)
出生地 日本・東京都中央区日本橋[1]
身長154 cm
血液型B型
職業女優
活動期間1966年 -
配偶者既婚
主な作品
テレビドラマ
『手ごろな女』
『花咲け花子』シリーズ
『女が見ていた』
『腕まくり看護婦物語』シリーズ
『男はいらない』
『和服デザイナー探偵』シリーズ
『自治会長 糸井緋芽子 社宅の事件簿』シリーズ
『ちょっと待って、神様』
『名司会者・寿鶴子 殺人スピーチ』シリーズ
『伝説の秋田犬 ハチ』
『港町人情ナース』シリーズ
泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年〈昭和22年〉9月11日 - )は、日本の女優、コメディアン、漫談家、歌手、タレント。東京都中央区日本橋生まれ[1]、銀座出身。静岡県熱海市在住。所属は pi企画株式会社
。血液型はB型。身長154cm。戸籍名:武本 小夜(たけもと さよ)、旧姓:江口(えぐち)。デビュー直後の芸名は三門 マリ子(みかど マリこ)。東京都品川区立第二日野小学校[2]、品川区立日野中学校卒業[3]。日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューするがキャバレー巡りを続ける。1975年に日本テレビ『テレビ三面記事 ウィークエンダー』で出演者に欠員が生じた際に話しぶりの面白さでリポーターに起用され、芸名を泉ピン子へ改名する[4]。この番組で初めてのレポートは豚の性行為で[3]、以後もゲイバーやストリップなど担当記事が猥雑で新日本婦人の会が選ぶ「ワーストタレント1位」に選ばれた[5]。
本業は歌謡漫談師だが[1]、『ウィークエンダー』の熱艶が買われ[1]、1975年に東映からオファーを受け『神戸国際ギャング』に出演し、女優業に進出した[1]。同じ1975年にTBSの演出家・鴨下信一に「美人でなく、知的でもなく、金もない“3ナイ女優”を探していた」とのことからドラマに誘われ[5]、鴨下演出のテレビドラマ『花吹雪はしご一家』に出演。女優業に本格的に乗り出し、1980年に『手ごろな女』(日本テレビ)でドラマ初主演。歌手としても1977年6月5日(日曜日)に「哀恋蝶」が発売。10.9万枚(オリコンチャート最高位37位)のヒットを記録した。
『NHK紅白歌合戦』へ出場を狙ったが落選した。以後、紅白に対して「歌手としての意地がある」と何度も応援出演依頼を断り、紅白出演歴は長らくなかった[6]。NHK連続テレビ小説『マッサン』が放送される2014年に紅白へ出演希望を発言し[7]、初出演した。
1983年4月 - 1984年3月放送のNHK連続テレビ小説『おしん』の母親役で女優として評価を得る。加えて同作の脚本を書いた橋田壽賀子にも高く評価され、以降は橋田作品に数多く出演する。
1990年に『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が放送開始。以後30年近くもの間シリーズ化され、泉の代表作の一つとなる。長い台詞にも動じない安定した演技で、以後橋田ファミリーの旗頭的な存在である(後述「橋田ファミリー関連」参照)。
2019年に、文化庁長官表彰[8]と、旭日小綬章受章[9][10]。
女優業の傍ら『渡る世間』での大人しい嫁役とは相反し、バラエティ番組では元コメディエンヌとしての才を活かし、テンションも高く時に辛口なコメントも交えたトークを展開している。
人物
歌謡漫談家時代
歌謡漫談家のネタの中にコント55号が作成したものもある。ある日、街角でキャバレーの呼び込みに「うちで働かない?」と声をかけられたが、「はばかりながら、こっちはもっといい商売やってんだよ!」と一蹴した。キャバレーの呼び込みは、「いけね。トルコ嬢に声かけちまった」と言った[11]。
芸名について
「泉ピン子」の芸名は芸能人であることをずっと反対した父親が「芸人にはピンからキリまであるのだから、志しの一番なピンの芸人になれ」と、泉に話したことから。本人によると、他の理由として「顔が丸くて麻雀牌のイーピンみたいだから」「泉の部分は『過去に泉という名前で売れた芸能人がいないので、お前で試す』と言われた」とのことで牧伸二に名付けられたとも語っている[12]。これ以前に駈け出しの前座歌手時代に泉 小百合(いずみ さゆり)の芸名を名乗っていたことがあり、『泉』を芸名にしていたのはこの時が初めてである[13]。
元芸人として
元来は(コメディエンヌ)で、歌謡漫談家時代を基にした本人主演の自伝的ドラマ「おんなは一生懸命」が制作されたこともあったが、一時期『ウィークエンダー』に出演した過去をなかった事にして自身を「女優」と公言する姿にレギュラーとして共演した桂ざこばなどから「生意気だ」と批判された。泉とざこばは不仲で関係が修復せず、彼女のドラマ以外の発言では否定的である[14][15]。一方では、元々漫談家としてデビューした当時の先輩芸人とのエピソードを嬉々として語る[16]など、後に自身がお笑い出身であることを全く隠さなくなった。
エピソード
橋田ファミリー関連
「橋田ファミリー」の一人として有名だが、自身は「“ファミリー”って嫌いなんですよね。(マスコミや視聴者など)皆がつけちゃったんで、ファミリーじゃないわよ」と発言している[17]。
橋田とはプライベートでも一緒に旅行に行くなどの交友があり、橋田の熱海の家を何度も訪れるうちに泉も熱海にマンションを購入し移住することとなった。しかし、橋田は泉に対して「全然友達じゃありません」と『ビートたけしのTVタックル』出演時のインタビューにて語っている。
『橋田壽賀子ドラマスペシャル 妻が夫をおくるとき』で演じた和田利子は、橋田邸で手伝いをしていた人物で、泉自身が橋田邸で本人と会った事がある[18]。
橋田が2021年4月4日に急性リンパ腫