沼田川
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沼田川
沼田川(広島県三原市)
水系二級水系 沼田川
種別二級河川
延長47.8 km
平均流量-- m³/s
流域面積540.0 km²
水源鷹ノ巣山(広島県)
水源の標高922 m
河口・合流先布刈瀬戸(広島県)
流域広島県東広島市三原市


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.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}沼田川中流域の風景と広島空港大橋1929年尾道市都市計画図。左が三原であり、左側から流れ込む川が沼田川。NUTA・GAWA1945年米軍作成の三原市地図。"NUTA・GAWA"表記が確認できる。拡大
Clip沼田川周辺の地形図

沼田川(ぬたがわ)は、広島県を流れる二級河川で沼田川水系本流
地理

広島県東広島市安芸高田市の境に位置する鷹ノ巣山(標高992m)に源を発し、東広島市内を南東方向へ向かって流れ、三原市に入った後もそのまま南東方向へ向かって進み、三原市中心部の三原湾から布刈瀬戸(瀬戸内海)へと注ぐ[1]。流域は支流も含め、上流側が東広島市・下流側が三原市とほぼ二分されている[1]

上流域が旧賀茂郡福富町および河内町の東半分で世羅台地面(吉備高原)南西端にあたり流れは小さく蛇行を繰り返し、中流域が河内町東半分から東側にあたる賀茂台地にあたり流れはまっすぐ東南東方向へ、下流域は旧豊田郡本郷町中心部から東側にあたり流れはそのまままっすぐ東南東方向へと向かう[2]。流域ほとんどを山間部が占め、下流域が平野となる[1][2]。主な支流は入野川・椋梨川・梨和川・仏通寺川・天井川など[1]



沿革

この流域には縄文時代後期から弥生時代にかけての遺跡が複数存在しており、古くから人間がこの川の畔で生活していたことが確認されている[1][3]

またこの流域は、河口が山陽地方瀬戸内海に面した三原で、その上流から更に西側は安芸国の中心地・広島市であるため、古代から安芸・備後備北を結ぶ交通結節点として栄え、この川に沿って交通網が整備された[1]。まず、支流に古来山陽道が、次いで西国街道が整備され、三原・本郷(三原市内)・白市(東広島市)が宿場町として栄えた。この道は明治時代に入ると国道2号として、更に時代が下ると山陽本線山陽新幹線と開通していった。広島県唯一の空港である、広島空港もこの流域にある。

近世に入ると、河口部で小早川隆景により三原城が整備されると以降三原が城下町として発展し、干拓により穀倉地帯となっていった[1]明治時代には鎮守府設置候補地となったが[4]、この川の土砂堆積作用により軍港として機能停止となる可能性が懸念されたことから計画取りやめとなった。

戦後時代が進むに連れ、河口部は工業地として栄え、この川を水源として工業用水道が整備されていった[5]。近年、上流域の高屋地区は広島市のベッドタウンとして開発されている[1]

この状況の中、古くから洪水被害に遭遇しており特に枕崎台風昭和42年7月豪雨6.29豪雨災害平成30年7月豪雨と流域で広範囲に被害を出している[6]。さらに平成6年渇水と、渇水でも被害を出している。そのため流域整備が1932年(昭和7年)河口部の改良工事から始まり、その後椋梨ダム・福富ダム三河ダムなどの治水および飲料用上水・灌漑用のダムが整備されていった[6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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