沼田国造
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年5月)

沼田国造(ぬたのくにのみやつこ)は、古代には、現在の広島県三原市沼田川(ぬたがわ)周辺地域を支配したとされる国造[要出典]。
目次

1 概要

1.1 祖先

1.2 氏族


2 本拠

2.1 支配領域


3 氏神

4 脚注

5 関連項目

概要

沼田神社社家の筑紫家が自称し、『三原市史』がその存在を唱えた国造である。
祖先

社家の伝承では阿岐国造
等の祖である飽速玉命を家祖とする。

氏族

筑紫氏(つくしうじ、は不明)。

支配領域は律令制が徐々に及び、中世になると、この地域は西園寺家荘園沼田荘(ぬたのしょう)となった。荘の下司は『楽音寺縁起絵巻』由来の在豪族の沼田氏(藤原倫実?)であった。その後、西園寺家は力を失い、戦国時代には土肥実平地頭職となり、以降小早川氏の支配下に置かれたが、その間、筑紫家は、現在の三原市沼田東町本市にある沼田神社(旧渟田宮)の社家として存続し戦後まで続いた。尚、明治12年の届出記録よるとこの他沼田東町片島にある小方島神社、沼田東町七宝にある七宝厳島神社、亀山神社他の沼田東にある全ての神社も祠官されていた。筑紫家所蔵の旧記によると「寛永2年(1625年大宮司国造宮内太夫藤原直正書之」とある。筑紫家の墓地は沼田東町七宝の亀山などに残されている。最後の当主は神話学者の筑紫申真[1]。なお、筑紫の読みは「つくし」であり、九州発祥の筑紫(ちくし)氏とは無関係である。
本拠
支配領域

国造の支配領域は当時沼田国と呼ばれていた地域、現在の沼田川周辺に当たると考えられる。

ただし、国造が列記される「国造本紀」(『先代旧事本紀』第10巻)を初めとして、史料に「沼田国造」の記載はない。「国造本紀」には、沼田川を含む安芸地域(のちの安芸国)全体で阿岐国造の記載があるのみである。これに関して『三原市史』では、「国造本紀」が全国の国造を網羅したものでないとする説を基に、沼田川流域に国造があった可能性を指摘している[2]。実際に『古事記』にのみ記載される本巣国造牟義都国造、『諏訪氏系図』にのみ記載される洲羽国造[注釈 1]木蘇国造があるなど、全てを網羅できていない可能性がある。
氏神

沼田神社か。
脚注

[ヘルプ]
^ 筑紫申真(つくし のぶざね、1920年 - 1973年)。『アマテラスの誕生 』(著者:筑紫申真、発行所:講談社講談社学術文庫2002年5月、ISBN 4061595458 ISBN 978-4061595453)などの著書がある。
^ 『三原市史 第一巻 通史編一』pp.102-103。
^ ただし「国造本紀」の写本の中に須羽国造と記すものもある。

関連項目

国造

厳島神主家

この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますP:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。


更新日時:2019年10月15日(火)11:32
取得日時:2019/11/09 20:31


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:8026 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef