沼尾川_(榛名山)
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この項目では、榛名山山頂の榛名湖から利根川支流の吾妻川に注ぐ川について説明しています。赤城山山頂の大沼から利根川に注ぐ川については「沼尾川 (赤城山)」をご覧ください。

沼尾川
水系一級水系 利根川
種別一級河川
延長全長約11[1] km
水源榛名山榛名湖
河口・合流先吾妻川
流域群馬県吾妻郡東吾妻町渋川市北群馬郡榛東村高崎市(一部境界未確定地域を含む)
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水源の榛名湖関連地図榛名湖から流出する沼尾川支流の湯沢川や貫沢は伊香保温泉を流れる。

沼尾川(ぬまおがわ[2])は、一級河川利根川水系の吾妻川の支流。榛名山の山頂にある榛名湖を主な水源とし、榛名山北麓の伊香保温泉の温泉街を流れる湯沢川などの支流を集めて吾妻川に注ぐ。全長は約11キロメートルで、川筋は渋川市東吾妻町との境になっている。
流路の概要

沼尾川の水源は、榛名山の山頂一帯にある。その山頂付近には溶岩ドームである榛名富士(標高1390.3メートル)と、カルデラ湖である榛名湖(湖面の標高1084 m)がある。その外輪山と榛名富士一帯の水が榛名湖に集まり、湖の北東端から火口瀬として北へ流れ出している[注 1]。川は榛名湖温泉の脇を流れたあと、外輪山の一座である烏帽子岳(1,363 m)と蛇ヶ岳(1,229 m)の間を北東へ流れ下る。約3キロメートルを流れる間に標高差400メートルあまりを流れ下っているが、五万石という山(標高1060.4 m)の西麓には弁天滝という落差6メートルほどの滝が懸かっている。榛名山一帯では滝は珍しい存在だが、滝壺までおりるルートはなく、見ることも難しい[4]

中流の左岸の旧東村(2006年の合併により東吾妻町の一部となる)は、榛名山の北麓の火山灰地で、かつては水の乏しい地域だった。江戸時代に沼尾川から水を引いて開拓が行われ、岡崎地区が拓かれた。

一方、右岸には伊香保温泉がある。温泉街は榛名山外輪山の二ッ岳(1,344 m)や水沢山(別名・浅間山、1,194 m)、物聞山(901 m)の北の斜面地に形成されていて、沼尾川の支流の湯沢川、貫沢、物聞沢が温泉街を流れている。これらの支流は相馬山(1,411 m)の北に発している。ここは6世紀の噴火の際の火口となった場所で、その火口の直径が2キロメートルに満たないためにカルデラの定義には合致しないものの、成因はカルデラと同じ地形である[5]

これらの支流をあわせたのち、沼尾川は吾妻川に注ぐ[2][6]。榛名湖からの流出口から吾妻川に注ぐまでのほぼ全長にわたり、沼尾川は東吾妻町(旧東村)と渋川市(旧伊香保町)の市町村境となっている。「伊香保川[7]」「布川[8]」の異称もある。
流域の開拓史
岡崎と岡上用水

榛名山が火山として活発に噴火した時期は大きく2期に分けられており、50万年前から25万年前まで(古榛名火山)、5万年前から現代(新榛名火山)に大別されている[9][10]。6世紀に起きた2度の噴火では、伊香保温泉に近い二ッ岳が活動の中心となった[11][注 2]。このとき発生した2度の火砕流はいずれも沼尾川を通ってくだり、一帯に軽石の堆積層を形成した(沼尾川火砕流堆積物)[13][14]。特に沼尾川の左岸は比較的なだらかな高原状の地勢をなしているが、沼尾川はこの高原を削った峡谷を流れており、川の両岸は高さ50メートルあまりの断崖となっている。そのため高原は水を得難く、長年に渡り原野であった[注 3]

戦国時代には、上杉謙信が吾妻川と利根川の合流地点に築かれた白井城を支配し、武田信玄が吾妻川中流の岩櫃城を支配した。沼尾川は両者の勢力圏の境にあたる場所となり、要衝として沼尾川の下流左岸の段丘上に柏原城(根古屋城)が設けられた。城は水が乏しかったので、西にある箱島湧水から堀を築いて水路をひらこうとしたが、完成しなかった[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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