日本の政治家河鰭 実文かわばた さねふみ
生年月日1845年5月10日
(旧暦弘化2年4月5日)
没年月日 (1910-07-16) 1910年7月16日(65歳没)
前職華族会館副幹事
現職錦鶏間祗候
称号従二位
子爵
親族三条実美(兄)
貴族院議員
選挙区貴族院子爵議員
当選回数1回
在任期間1890年7月10日 - 1897年7月10日
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河鰭 実文(かわばた さねふみ)は、日本の公家、政治家。位階は従二位。爵位は子爵。
元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候などを歴任した。目次 戊辰戦争では錦旗奉行となり、慶応4年(1868年)4月には有栖川宮熾仁親王に従って江戸城に入った。 明治3年(1870年)東京府権少参事となり、その後、内務省権少書記官などを務めた。明治6年(1873年)イギリスに留学し、帰国後、華族会館副幹事となった。華族令に基づき、1884年(明治17年)7月8日、子爵となる[1]。その後、第1回貴族院子爵議員選挙にて貴族院議員に選出された。1890年(明治23年)10月20日、錦鶏間祗候となる[2]。明治43年(1910年)7月16日、66歳で没した。 華族の学問の切磋と子弟の教育を図るため、秋月種樹らとともに「通款社
1 来歴
2 政策・主張
3 家族・親族
4 脚注
5 参考文献
来歴
政策・主張
家族・親族
三条季晴(高祖父) - 公卿
一条道香(高祖父) - 公卿
山内豊敷(高祖父) - 大名
三条実起(曾祖父) - 公卿
一条輝良(曾祖父) - 公卿
山内豊雍(曾祖父) - 大名
三条公修(祖父) - 公卿
山内豊策(祖父) - 大名
三条実万(父) - 公卿
河鰭公述(養父)- 公家
三条公睦(兄) - 公卿
三条実美(兄) - 公卿・政治家
細川韶邦(義兄) - 大名
河鰭実英(甥・養孫) - 宮内官僚・歴史学者
脚注^ 小田部雄次『華族』中央公論新社、2006年、331頁。
^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
^ a b c 小田部雄次『華族』中央公論新社、2006年、74頁。
参考文献
小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
近藤敏喬
日本の爵位
先代:
(叙爵)子爵
河鰭家初代
1884年 - 1910年次代:
河鰭公篤