河合その子
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かわい そのこ
河合 その子プロフィール
生年月日1965年6月20日
現年齢58歳
出身地 日本愛知県東海市[1]
血液型B型[2]
公称サイズ(1985年9月[2]時点)
身長/体重160 cm / 43 kg
BMI16.8
スリーサイズ78 - 58 - 83 cm
単位系換算

身長 / 体重5 4 / 95 lb
スリーサイズ31 - 23 - 33 in

活動
デビュー1985年4月5日[3]
ジャンルアイドル歌謡曲
所属グループおニャン子クラブ
活動期間1985年 ? 1990年
2010年 ?
著名な家族後藤次利(夫)
他の活動歌手シンガーソングライター
事務所渡辺プロダクション
レーベルCBS・ソニー
主な楽曲涙の茉莉花LOVE[1][4]
青いスタスィオン[4][5]
アイドル: テンプレート - カテゴリ

河合 その子(かわい そのこ、1965年6月20日[1] - )は、日本タレント[1]歌手[6]愛知県東海市出身[1]女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は12番[1][4]

現役当時は渡辺プロダクション[6]イザワオフィスに所属していた。芸能界引退後は、出身地の東海市にある実家近くに居を構える専業主婦であったが、2010年に芸能活動を再開した。

夫はミュージシャン後藤次利[5]
来歴
生い立ち1965年(昭和40年)6月20日、愛知県東海市に生まれる。その子という名前は「花園のように美しい子になって欲しい」という両親の希望で名付けられた[7]。明佳幼稚園→東海市立加木屋小学校東海市立三ツ池小学校卒業。中学は名古屋市内の学校へ電車通学し、中学卒業後、日本福祉大学付属高等学校へ進学[7]
オーディション1983年、高校3年の夏、河合が熱烈なファンだった松田聖子に会えるかもしれないという思いから、CBS・ソニー主催のオーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト'83」に応募する。同コンテストで準優勝し[7]、ソニーに所属し芸能界入りのきっかけを作る[注 1]。その後は、1984年に新春恒例になっていた特別番組「新春レコード会社8社対抗オールスター大運動会」にソニー代表の一人として呼ばれて出演した以外は何の音沙汰もなく、日本福祉大学付属高等学校を卒業後、経済(コンピューター系)専門学校に進学する[7][8]
おニャン子クラブ時代
1985年(昭和60年)3月、既に就職も内定していたところ、ソニー関係者から4月開始のフジテレビの新番組『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナーに出てみないかとの連絡を受ける。突然の連絡に戸惑ったものの、松田聖子への憧れが再び募り、オーディション参加を決意する[7]。同番組ディレクターの笠井一三は「歌の上手い、美人系のおニャン子が居たらいいな」と思い探していたところ、ソニーの過去のオーディション合格者の中の河合に目が留まり、説得して連れてきたと語っている[9]。番組初回の4月1日から、番組内コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」の第1回に出場し、4月5日放送回にて合格[3]。140点獲得は、立見里歌の142点に次ぐ歴代2位の記録であった[10]。同時に合格した内海和子富川春美と共に、翌週からおニャン子クラブの会員番号12番として活動を開始した。
ソロ活動の開始7月、テレビドラマ『スケバン刑事』にゲスト出演。悪役を演じ、麻宮サキ役の斉藤由貴との格闘シーンを披露した[11]。同ドラマでのセリフ「ゲームなんだよ!」は有名となった[12]。河合にとってドラマ初出演となり、また、おニャン子メンバー初のソロ活動となった。おニャン子クラブの活動中にはメンバーが様々なドラマに出演したが、悪役を演じたのは河合だけである。9月、CBS・ソニーから『涙の茉莉花LOVE』で、おニャン子クラブから最初のソロ歌手デビュー[1][6]。同曲はオリコン週間チャートで初登場5位、翌週には1位を獲得した[13]。女性アイドルとしては薬師丸ひろ子以来となる、デビュー作チャート首位という快挙を成し遂げた[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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