かわらざき ちょういちろう
河原崎 長一郎
本名河原崎 統一
生年月日 (1939-01-11) 1939年1月11日
没年月日 (2003-09-19) 2003年9月19日(64歳没)
出生地 日本、東京府
職業俳優
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1961年 - 2003年
配偶者伊藤榮子
著名な家族四代目河原崎長十郎(父)
河原崎しづ江(母)
河原崎次郎(弟)
河原崎建三(弟)
岩下志麻(いとこ)
大川栄子(義妹)
主な作品
テレビドラマ
『白い巨塔』
『沿線地図』
『1年B組新八先生』
『親愛なる者へ』
『花の咲く家』
『妹よ』映画
『五番町夕霧楼』
『神々の深き欲望』
受賞
ブルーリボン賞
助演男優賞
1963年『五番町夕霧楼』
その他の賞
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河原崎 長一郎(かわらさき ちょういちろう、1939年1月11日[1][2] - 2003年9月19日[2])は、日本の俳優。本名:河原崎 統一(かわらざき とういち)[2][注 1]。
東京府武蔵野町(現在の東京都武蔵野市)出身[1][2]。東京都立武蔵高等学校卒業、早稲田大学第一文学部中退[1][2]。独立企画に所属していた[1]。
四代目河原崎長十郎の長男。妻は伊藤榮子。弟は河原崎次郎、河原崎建三。岩下志麻はいとこ(母親が姉妹関係)。親族や友人、仕事仲間たちからは「長さん」と呼ばれ親しまれていた。 幼少の頃より舞台に立つが、反抗期だった高校時代に子役を務めた前進座の舞台が嫌になり、早稲田大学に進学[3]。画家になるなどと言い始めたため[3]、厳しい長十郎も考えあぐね、親友・内田吐夢と薄田研二が長一郎の身柄を預かる形で[3]、早稲田大学在学中の1961年に東映に籍を置くことになり東映と契約する[3]。 東映で5年間準主役を続け[3]、東映作品30数本に出演[3]。1963年の『五番町夕霧楼』で佐久間良子演じる主人公と心を通わせる若い僧役などが高評価を受ける[3]。 1965年、古巣の前進座に帰参し、研究生からスタート[3]。 40代頃からは「日本の良き優しい父親像」を多く演じ、ホームドラマに欠かせない存在となった。 糖尿病の持病があり、一時病状が小康を得た頃に『花の咲く家』にて昼ドラとしては例外的に主役を務めた(第3部)。 1990年代後半からは脳血管障害(脳梗塞)も患い、療養生活を送ることになる。 2003年9月19日、急性心不全のため64歳で死去。何度か共演経験がある千葉真一は「素晴らしい俳優さんだと思った。彼の分もきっちりとした映画を伝えていきたい」と肩を落としながら偲んだ[4]。 妻とは「おしどり夫婦」として知られていた。 特技は日本舞踊[1]、乗馬[1]。
人物・来歴
出演
映画
鉄火大名(1961年、東映)
新諸国物語 黄金孔雀城(1961年、東映)
まぼろし天狗(1962年、東映)
宮本武蔵シリーズ(1962年 - 1965年、東映) - 林吉次郎
宮本武蔵 般若坂の決斗(1962年)
宮本武蔵 二刀流開眼(1963年)
宮本武蔵 一乗寺の決斗(1964年)
宮本武蔵 巌流島の決斗(1965年)
忍者秘帖 梟の城(1963年、東映) - 雲太郎
五番町夕霧楼(1963年、東映) - 櫟田正順
武士道残酷物語(1963年、東映) - 村の若者
十三人の刺客(1963年、東映) - 牧野妥女
真田風雲録(1963年、東映) - 穴山小助
大殺陣(1964年、東映) - 別所隼人
忍者狩り(1964年、東映) - 天野弥次郎
十兵衛暗殺剣(1964年、東映) - 城所早苗
幕末残酷物語(1964年、東映) - 沖田総司
いれずみ判官(1965年、東映) - 与吉
冷飯とおさんとちゃん(1965年、東映) - 平松吉之助
隠密侍危機一発(1965年、東映) - 矢吹亥四郎
あかね雲(1967年、松竹) - 二木勇
神々の深き欲望(1968年、日活) - 太亀太郎
私が棄てた女 (1969年、日活) - 吉岡努
君が若者なら(1970年、松竹)
裸の十九才(1970年、東宝) - 大西
やさしいにっぽん人(1971年、東プロ)
喜劇・女は男のふるさとヨ(1971年、松竹) - 照夫(てるちゃん)
婉という女(1971年、ほるぷ映画) - 野中欽六
忍ぶ糸(1973年、東宝)
卑弥呼(1974年、ATG) - ミマキ