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出典検索?: "河南省" 中華民国
中華民国 河南省
← 1912年 - 1949年 →
河南省の位置河南省の位置
簡体字河南
繁体字河南
?音Henan
カタカナ転記ホーナン
国家中華民国
行政級別省
政府所在地開封県1912-1938
鎮平県1938-1939
洛陽県1939-1942
魯山県1942-1942
内郷県1942
盧氏県1942-1945
開封県1945-1949
建置1912年
消滅1949年
面積
- 総面積165,141 km²
人口
河南省(かなんしょう)は、かつて中華民国に存在した省。現在の中華人民共和国河南省の地域に相当する。 清代の河南省
地理
東は山東省及び安徽省、北は山西省及び河北省、南は湖北省、西は陝西省に接していた。 1912年(民国元年)3月、中華民国北京政府が成立すると河南巡撫を河南都督と改称、1913年(民国2年)、『劃一令』により民生部門長官として民政長が設置されたが、河南省でも都督が兼任している。1914年(民国3年)5月23日には民政長を巡按使と改称されている。1916年(民国5年)7月6日、巡按使は省長と改称、その下部に政務、財務等の庁が設置された。1927年(民国16年)3月9日、国民党中央政治会議は河南省政務委員会を設置、当初は武漢国民政府、後に南京国民政府に帰属した。 1937年(民国26年)、日中戦争が勃発すると河南省は日本軍により占領、南京政府は実効支配権を喪失し河南省政府は亡命政権となった、その後は中華民国臨時政府、続いて汪兆銘政権の実効支配下に置かれることとなった。 1945年(民国34年)、日本の敗戦と汪兆銘政権の崩壊により中華民国の統治権が回復、しかし1948年(民国37年)10月24日、共産党勢力により開封県が「解放」されると、中華民国は実効支配権を喪失している。 省会は開封県に位置していたが、日中戦争により日本軍に占領されると1938年(民国27年)6月に鎮平県、1939年(民国28年)10月に洛陽県、1942年(民国31年)4月に魯山県、同年5月に内郷県、盧氏県に疎開している。1945年(民国34年)、日本の敗戦後は再び開封県に戻された。
歴史
省会
歴代省長
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